短评---余录

2017/2/5付

昔、地中の人が地上で袋に入れた蜂をもらい、戻ってから袋を開けた。皆が蜂にさされたため、怒った地中の人が柱を揺り動かし、地上の家屋はことごとく倒れた。台湾の先住民、アミ族に伝わる話だ

【台湾的先住民阿米族有个传说,过去,地下的人在地上能进入袋子里的蜂请求,回头来就能打开袋子了。大家为了】

▲台湾は日本と並ぶ地震多発地域だ。他の先住民にも「地中の大きな山猿が時々、体を震わせる」などの言い伝えがある。1年前の2月6日には台南市の地震でビルが倒壊し、100人以上が亡くなった

【台湾和日本并列处于地震多发地带。其他的先住民中,传说是地底下的山猿时不时的翻身抖动(而引发的地震)。一年前的2月6日在台南市发生地震,大楼倒塌导致100人以上死亡。】

▲国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)で開催中の「台湾と日本-震災史とともにたどる近現代-」展では、日本統治時代から昨年の地震までの被害や復興の記録を紹介している。先住民の伝説は日本統治時代に収集された。共催の台湾歴史博物館(台南市)が多くの資料を提供している

【公立历史民俗博物馆(千叶县佐仓市)正在召开的“台湾与日本--顺着震灾史探索近现代”的展览,介绍了从日本统治时代直至去年的地震中的受害与复兴。先住民的传说是在日本统治时期收集到的。(展览的)联合举办方台湾历史博物馆(台南市)也提供了很多资料。】

▲最悪の被害が出たのは1935年4月に新竹、台中地区を襲った地震だ。3000人以上が亡くなり、数多くの家屋や学校などが倒壊した。両地区の中間にある苗栗(びょうりつ)県の「竜騰(りゅうとう)断橋」は当時崩壊した鉄道のレンガ製アーチ橋の遺構だ。99年9月に2400人以上の死者を出した「921大地震」でさらに一部が崩れ、政府から震災遺構に指定された

【最严重的一次受灾是1935年4月在新竹和台中地区发生的大地震,死亡人数达3000人以上,无数房屋和学校倒塌。在这两个地区之间的苗栗县的“龙腾断桥”是当时作为铁道的用红砖搭建而成的拱形桥的残骸,在1999年9月的死亡人数达2400人的“921大地震”中一部分被震坏,政府指定作为震灾遗迹(保留了下来)。】

▲東日本大震災の際には、その台湾から多くの義援金が寄せられた。共に甚大な地震被害を経験していることが相手への思いやりにつながっているのではないか

【东日本大地震的时候,从台湾寄来了很多援助金。正因有过共同的级大地震灾害的经历所以才能体会到对方的感受吧。】

▲先月、来日した頼清徳(らいせいとく)台南市長は昨年の地震で日本は何が必要かを把握した上でニーズに応じた援助をしてくれたと感謝していた。6月からは台湾で日本の震災を中心とした展示が行われる。歴史や教訓も共有し、いっそうの交流につなげたい。

【上个月,台南市长赖清德来到日本,针对去年的地震中在日本把握了什么必要的东西基础上,对日本应对了需要给出了援助表示感谢。从6月开始,在台湾将以日本为震灾中心进行展示,既是吸收了历史教训也是进行直接交流。】

【相关背景】

龙腾断桥

龙腾断桥是俗称的糯米桥,又称为鱼藤坪断桥,位于苗栗县三义乡龙腾村。山线铁路泰安到胜兴之间,桥长约两百公尺,跨越鱼藤坪溪。龙腾断桥完工于明治40年,桥身用红砖块搭建而成的拱形建筑,桥面距地面有50公尺,是山线铁路中最高的桥梁,在当时还被称为是台湾铁路中的艺术极品,令人遗憾的是在1935年,因关刀山大地震而断毁,现在只剩北部6座及南端的4座桥墩供游客凭吊了。


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