【日语共读】《心》夏目漱石(145)



       《心》讲述的是“先生”结识并爱上了房东家的小姐,同时也赢得了房东太太的好感,但却因年少时曾受到叔父的欺诈而对他人时存戒心,迟迟不能表白自己的心意。后来,“先生”的好友K住进了房东家里,也爱上了小姐,直率的K向好友“先生"表白了自己的心事,“先生”在表面上批评K“不求上进”,背地里却偷偷地向房东太太提出要和小姐结婚。知道了这一切真相之后的K在绝望中自杀了,同时K的死也留给“先生”一生的不安和自责,婚后的“先生”一直无法忘却K,他的内心无比的寂寞,终于也走上了自杀的道路。

   「私はその友達の名をここにKと呼んでおきます。私はこのKと小供(こども)の時からの仲好(なかよし)でした。小供の時からといえば断らないでも解っているでしょう、二人には同郷の縁故があったのです。Kは真宗(しんしゅう)の坊さんの子でした。もっとも長男ではありません、次男でした。それである医者の所へ養子にやられたのです。私の生れた地方は大変本願寺派(ほんがんじは)の勢力の強い所でしたから、真宗の坊さんは他(ほか)のものに比べると、物質的に割が好かったようです。一例を挙げると、もし坊さんに女の子があって、その女の子が年頃(としごろ)になったとすると、檀家(だんか)のものが相談して、どこか適当な所へ嫁にやってくれます。無論費用は坊さんの懐(ふところ)から出るのではありません。そんな訳で真宗寺(しんしゅうでら)は大抵有福(ゆうふく)でした。


    “在这里,我暂把这位朋友的名字称作K。我同这位K,从小就很要好。一提从小时候说起,勿需解释也会明白的吧,因为我们是同乡。K的父亲是个信奉真宗(注:日本佛教派别之一,创于十三世纪初,创建人亲鸾(1173-1262),允许食肉,结婚)的和尚,但他不是长子,而是次男,因此K被送到医生那里作了养子。在我的故乡,本愿寺派的势力强盛得很,所以在物质上,真宗派和尚要比其他人优惠得多。举个例子来说,如果和尚有个女儿到了适当年龄,便会由施主们协商嫁到一处宽裕人家。当然花费是不会从和尚的腰包里掏的。从这种意义上说,真宗和尚大体上都是有福气的。


 Kの生れた家も相応に暮らしていたのです。しかし次男を東京へ修業に出すほどの余力があったかどうか知りません。また修業に出られる便宜があるので、養子の相談が纏(まと)まったものかどうか、そこも私には分りません。とにかくKは医者の家(うち)へ養子に行ったのです。それは私たちがまだ中学にいる時の事でした。私は教場(きょうじょう)で先生が名簿を呼ぶ時に、Kの姓が急に変っていたので驚いたのを今でも記憶しています。


    K的本家生活也很富足,然而是否有能力把次子送到东京去上学,便不得而知了。况且是否是为了便于送出去学习才去作养子的,我也不大清楚。总之,K到医生家当了养子,那还是我们上中学时的事情。至今我还记得很清楚,先生在教室点名时,K的姓忽然变了,大家都吃了一惊。


 Kの養子先もかなりな財産家でした。Kはそこから学資を貰(もら)って東京へ出て来たのです。出て来たのは私といっしょでなかったけれども、東京へ着いてからは、すぐ同じ下宿に入りました。その時分は一つ室(へや)によく二人も三人も机を並べて寝起(ねお)きしたものです。Kと私も二人で同じ間(ま)にいました。山で生捕(いけど)られた動物が、檻(おり)の中で抱き合いながら、外を睨(にら)めるようなものでしたろう。二人は東京と東京の人を畏(おそ)れました。それでいて六畳の間(ま)の中では、天下を睥睨(へいげい)するような事をいっていたのです。

        K的养父家是个相当有钱的财主。他就是因此得到学费去东京的。我们并不是一起去的,可是到东京后,马上住在同一宿舍内。那时候,一间屋子里常常住两三个人。并排摆着共同起卧。K和我就住在一起。我们象是从山里捉来的动物似的,相互偎靠在兽栏里观察着外界。我们畏惧东京和东京人。但是,在六张席大的房间里谈论起来,却目空一切。

 

 

 


主播介绍

本期主播:行天

本期编辑:LMN

责任编辑:日语之声

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