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式辞・告辞集 平成27年度東京大学学位記授与式 総長告辞
本日ここに学位記を授与される皆さん、おめでとうございます。晴れてこの日を迎えられた皆さんに、東京大学の教職員を代表して、心よりお祝いを申し上げます。このたび、修士課程2,949名、博士課程1,039名、専門職学位課程355名、合計で4,343名の皆さんが学位を取得されました。留学生の皆さんはこのうち718名です。皆様が研鑽に励まれ、卒業のこの日をお迎えになったことに敬意を表します。また、ご列席いただいているご両親はじめ御家族の皆様、御友人、御支援頂いた皆様、心よりお祝い申し上げます。これまで長きに亘るご支援に感謝いたします。
卒業生の皆さんは、今学位をどのような思いで手にしているでしょうか。大学院での研究生活での日々や苦労の数々を思い出されているかもしれません。
東京大学は本年4月に139周年を迎えます。東京大学は創立以来、アジアの地にあって、東西両洋の学術を基礎としながら、独自の学問を生み育ててまいりました。皆さんはそうした歴史を有する本学を大学院の学びの場として選択されました。学部までは、既存の知識を身につけ、学問体系を把握することが主な学びでした。大学院では、自身で設定した課題について、自ら調べ論じ、結論を導き出しました。すなわち、新しい知を自ら生みだすということに挑戦されたのです。それまでの、知識を吸収する学びとは全く次元の違う営みであることを実感されたことと思います。多くの困難もあったことでしょう。しかしその中で、学問の営みに直接触れ、苦労を上回る喜びを感じることが出来たのではないかと思います。そして、研究の成果を修士論文あるいは博士論文としてまとめ厳しい審査に合格し、学位を取得することができたのです。その成果は人類共有の知の資産として、永く引き継がれていくものとなります。その証としての学位が今皆さんの手にあるのです。
私は発見、発明、創造、創作などの無から有を生み出す頭脳の活動、つまり、知の活動を通じて人類社会に貢献する人材を「知のプロフェッショナル」と呼んでいます。皆さんが手にした学位は、まさに「知のプロフェッショナル」としての資格を意味します。その資格を東京大学の名において得たということを、ぜひ、皆さんの生涯にわたる誇りの源泉として、心に留め置いて頂きたいと思います。資格を得たということは、同時に責任を負ったということでもあります。そして「知のプロフェッショナル」としてなによりも大切なことは、学問に向かう情熱であり、真理に対する謙虚さと誠実さです。学位に相応しい矜持と共に、謙虚で誠実であることを忘れないでください。
今日、私達人類は数多くの課題に直面しています。20世紀は科学の世紀と呼ばれ、自然科学は飛躍的に進歩しました。自然科学の進歩は様々な革新的な技術を生みだし、その結果、人類の活動範囲はかつてない規模へと拡大しました。人々は国境を越えて活動し、世界中の出来事を瞬時に知ることもできるようになりました。しかし一方で、人間の行為が地球に回復困難な変化をもたらし、人類の存続を脅かすものになって来ていることも事実です。そのような地球の有限性を、皆が実感する状況にあっても、環境問題の深刻化に人類は歯止めをかけることができていないのです。人文・社会科学の研究が進んでもなお、宗教的な対立や国際紛争の複雑化は加速するばかりです。人類の英知が生み出した、資本主義や民主主義という人間社会を動かす基本的な仕組みについても、その制御が追い付かず、格差や社会の不安定性が拡大しているのです。
東京大学は東京大学憲章にあるように世界の公共性への奉仕を誓っています。逃避したり、傍観したりすることは私達には許されません。本学で研鑽を積んだ皆さんも、「知のプロフェッショナル」として、こうした難題に挑戦する勇気、情熱、そして自負を持ち続けなければなりません。その思いを胸に、どう行動するべきか。安定した平穏な世界を構築するためには、人類の英知が駆動する新たな社会や経済の仕組みが必要です。私は、それを東京大学が率先して生み出すべきであると考えます。そして、近代の社会や経済の仕組みの中で必ずしも中心的役割を果たしてはこなかった東洋の学問が、その扉をひらく鍵を握るのではないかと考えています。この点においても、東京大学で学ばれた皆さんには大きな可能性があるのです。是非皆さんと共に、世界の難題に挑戦し、行動していきたいのです。
昨年春の大学院入学式でも、私は大きな野心と夢をもって未踏の領域に踏み込む「挑戦の精神」の重要性を話しました。学問は、これまで信じられてきた常識に対して、健全な批判や論理的な思考によって個々の真理や事実をより確かなものとし、新たな知の要素を積み重ねるという地道な営みです。しかし、その過程で、従来の「知識」の体系が崩壊し、突如として新たな枠組みが現れる時があります。いわゆる、パラダイムシフトの瞬間です。例えば、梶田隆章先生、戸塚洋二先生のグループがスーパーカミオカンデで発見した「ニュートリノ振動」はその好例です。質量ゼロとされていたニュートリノが実は質量を持つことを示す事実をつかみ、20世紀後半に構築された素粒子物理学の標準理論に修正が必要であるということを突きつけたのです。梶田先生の言葉を借りれば、「人類の知の地平線を拡大」した瞬間で、宇宙の成り立ちの解明にも関わるものとなりました。このような、パラダイムシフトこそが学問の魅力、醍醐味であり、その高みへの挑戦が学問の本質なのです。
このような知の挑戦は、科学技術の世界だけにとどまるものではありません。先ほど述べたように、いま人類には、社会を動かす新しい仕組みを生み出すことが強く求められています。例えば、近年の科学技術の革新によって、扱うことのできる情報量は飛躍的に多くなりました。しかしそれは人類の進むべき方向を照らすというよりも、むしろ霧を濃くし、進路を見えにくくしているかのようです。未来の社会を「良く」するためには、さらに根源的な問題、つまりヒトと社会にとって「良い」とはどういうことなのかということ自体を深く探究しなければなりません。すなわち、学問的挑戦、とりわけ人文・社会科学の学問的挑戦は、今日、ますます重要になっているのです。
ここで、人文・社会科学の知見が社会づくりに貢献した例として、私たちの先輩の偉業をひとつ紹介したいと思います。明治初期に本学教授になられた梅謙次郎先生を御存知の方もおられると思います。梅先生は司法省法学校と留学先のリヨン大学を共に首席で卒業された俊英です。その学位論文は1世紀を経た現代でも参考文献として言及されるほどの価値を有しています。キャンパス内の赤門と正門の間には、梅先生の記念碑があり、そこには「民法の大家」と記されています。江戸末期に締結した欧米列強との不平等条約を撤廃するために、民法制定は当時の緊急的課題となっていました。まず、フランスから招聘したボワソナード博士等によって、民法典が起草されました。しかし、日本の伝統的な文化との整合など議論が収束せず、この旧民法と呼ばれるものは公布はされましたが、施行には至りませんでした。その中で、梅先生は、穂積陳重、富井政章両先生と協力して、新たな民法の内容を作り上げました。そこで、梅先生は、民法典の制定それ自体を、社会を「良く」する為の急務と捉えました。そして、知の力を駆使してそれを早期に実現したのです。梅先生が第一義として捉えたのは民法典自体の完全性ではなく、不平等条約撤廃のために、いかに早く民法を制定するかということだったのです。このように、社会の現状に対する判断・選択においてこそ、研ぎ澄まされた英知と理性が必要になります。恐らく、皆さんが社会を良くしようとする際にも、折々の状況に応じた、判断・選択を迫られるでしょう。その時には、是非、ご自身の研究や学位論文での経験を思い出してください。文理を問わず、大学院での学びのプロセスは難解な問題に対する判断・選択の連続であったと思います。その鍛え上げた知の力をもって、梅先生のように的確な判断を下すことを通じて社会に貢献することに挑戦してください。私は、それこそが、皆さんと本学が共有する責務であると確信しています。
さて、ここで学問というものが持っている特性について是非触れておきたいことがあります。それは時間のスケールです。人類社会への貢献とは、その時々の社会変革だけを意味するものではありません。過去から未来に流れる永い時間スケールの中で、時を超越した真理の深淵を探究することにこそ学問の真の魅力があるのです。
皆さんはピタゴラスの定理をご存知だと思います。直角三角形の直角を挟む2辺の長さを、xとyとし、斜辺をzとします。その時、xの2乗とyの2乗を足すとzの2乗になる、と言う等式です。この定理は数学だけでなく、長さの計量の基本ともなっています。ところで、x、y、zがすべて自然数という場合があります。3と4と5の組合せはすぐに思い浮かぶでしょう。このような3つの自然数の組み合わせは無限に存在します。さて、ここでは2乗の和となっていますが、その乗数を3乗、4乗と増やすと、その等式を満たす自然数の解は存在しないという命題があります。これは、17世紀の数学者フェルマーが「証明を得たが書くスペースがない」と、ある書物の余白に書き込んだという命題です。有名な「フェルマーの最終定理」です。この一見簡単そうに見えながらとてつもなく論証がむずかしい命題は、360年にわたる数々の挑戦を退けたのちに、アンドリュー・ワイルズというイギリスの数学者によって1994年に証明されたのです。この探究の過程は、「フェルマーの最終定理」の証明に無数の数学者が魅力を感じ、時を超えて連携し、知の地平を協働して押し拡げたことの証と言えます。
実は、この過程に本学の数学者も深く関与していたのです。真理探究のクライマックスで本学数学科の谷山豊が言及し、同科の志村五郎が定式化した「有理数体上で定義された全ての楕円曲線はモジュラーである」と言う予想が欠かせない役割を果たしたのです。これは、全く異なる二つの数学的概念を結ぶ「知の架け橋」となりました。ワイルズはこの架け橋を初めて渡ったのです。実は、ワイルズが、この偉業の一年前に発表した「証明」には致命的な欠陥が見つかりました。ワイルズはその欠陥を乗り越えようと、孤独な苦闘をしていました。その中で彼が選んだのは、本学数学科出身の岩澤健吉が築いた、解析学と代数学という二つの世界を結ぶ、もうひとつ別な「知の架け橋」でした。そして、その橋を渡るために、他者と連携することを決断したのです。自らがかつて指導した数学者、リチャード・テイラーを招き共同して取り組み、欠陥を克服したのです。こうしてワイルズは二つの架け橋を渡ることで、360年のあいだ挑戦者を退けつづけた難問を解き、ついに真理に到達したのです。この物語は、純粋な真理探究の魅力を存分に語るものですがそれに加え、「知の架け橋」という、他者との連携の重要性を示す良い例となっているのです。皆さんにも、是非、先人の築いた「知の架け橋」を縦横に渡り、また自ら築き、他者と連携し、知の地平を押し拡げることに挑戦して頂きたいと思います。
ここで、学問にとってもうひとつの重要な要素である「自由」ということについて触れておきたいと思います。もし梶田先生がニュートリノの質量がゼロであるとする標準理論やすぐに社会の役に立たなければならないという要請から自由でなければ、新たな発想を生み出すことが出来たでしょうか。やはり、学問が人類社会に貢献するパラダイムシフトを引き起こすためには「自由」がその前提として大変重要なのです。
しかし、この自由は決して天与のものではありません。本学の活動を振り返ると、139年間の歴史の中で、様々な理由で学問の自由が失われかけたことがありました。
今われわれの前に学問の自由があるのは、自由を尊ぶ伝統と自由に対する情熱とを持って受け継がれてきた先達の努力があったからです。そしてさらに、学問の必要性を理解する社会・国民からの付託が途切れていないからなのです。このことを私達は深く理解し、その付託に応える責務として学問の自由を実践する必要があります。
本学でこの自由を享受した皆さんには、ぜひ、「学問の価値」を社会に広く発信して頂きたいのです。梶田先生は1998年6月にニュートリノ振動の確証を得たことを日本で行われた国際会議で発表しました。その翌日、当時のクリントン米国大統領は、MITで行われた卒業式で、この発見について「極小の素粒子の性質から宇宙全体の成立ちまでを支配する根源的な理論を変えてしまうかもしれない」と言及しました。「人類の知の地平を押し拡げる」という学問の力の価値を物語る逸話です。
私はこの「知の地平を押し拡げる力」と、梅先生が示されたような「社会を良くする力」の双方が、学問への自由の付託を支えるのだと思います。この両者は決して対立するものではなく、両者の調和のとれた発展がなければ、私たちが直面している地球規模の問題に、解を見出すことは出来ないと思います。
さて、皆さんは、これから、本日手にされた学位を携えて世界に羽ばたいて行かれることになります。頼るべき絶対的な座標のない、多様性のるつぼでの活躍が求められます。「知のプロフェッショナル」として人類社会に貢献する為には、国、地域、性別、年齢、宗教の違いを超えて、様々な人々と連携して行動していかねばなりません。
そのために不可欠なことは、まず自己を他者の中で正しく捉えることです。手軽なメディアに安易に頼るのではなく、世界の様々な人々からの声や地域の生の状況を意識して知る努力をしてください。他者に対する敬意を忘れず、公正、公平な理解の上で、自他を相対的に認識する姿勢をもってください。それなくして、意義のある連携や協創は生まれません。
また、これらの連携や協創には、皆さん自身が、多様性を担う主体として他者に認識してもらうことが前提となります。そのために、ぜひ、自身の個性を磨き、世界に向けて叫び、主張して下さい。謙虚であることは重要ですが、発信のない人とは誰も連携することはできません。
皆さんの学位は、「知のプロフェッショナル」として活躍する資格を本学が認めるものであり、東京大学の責務は、そのような皆さんと手を携えて人類社会に貢献することに他なりません。皆さんが新たに必要とされる学問や異分野連携に資するべく、知の協創の世界拠点としての改革を懸命に進めています。東京大学は常に、皆さんと共にあります。卒業は大学との別れではありません。新たな協働の始まりです。どうか、皆さんには、これからも、本学の成長に積極的に関わって下さるよう、心からお願い申し上げます。
本学を選び、世界に類のない教育・研究を通じて「知のプロフェッショナル」となる資格を得た皆さんが、その矜持と謙虚さを胸に、それぞれの個に一層磨きをかけ、他者に心を砕き、知恵を出し合い協働し、自由な学問への挑戦によって、知の地平を押し拡げ、また、人類社会を「良く」することでみなさん自身の人生を輝かせる、そのことを祈念し、私の告辞とします。
学位の取得、誠におめでとうございます。
平成28年 3月24日
東京大学総長 五神 真