2019-01-09 天才と漢字の間柄11

そこへ、そうですね……sneachta という文字が入ってきた。

ーーなんじゃい、これは?

と、日本語は首を傾げます。ほかにもたくさん同じような文字がいっしょにぞろぞろ入ってくる。いっしょになってわけの分からない呪文みたいなものを作っている。なにがなんだか分からない。

しかしそれでも時がたつうちに、ついに理解する。

ーーそうか、こいつはおいらがゆきと称しているものではなかろうか。ならばこいつ sneachtaをゆきと読み、ゆきをこいつ sneachtaと書くことにしよう。

日本語が自分のことを「おいら」と言ったかどうか、それは責任を持てません。日本語がsneachtaに出会って、どれくらい時を経てからのことかも、ぼくには言えない。ただ、間違いなくこういうことは言えると思います。つまり、ちょうど今のぼくらがsneachtaをゆきと読めといわれても、そうは読めないように、日本語が始めて漢字の雪に出会ったとき、それをゆきとは読むことができなかった。できなかったけれども、しかし、それがまぎれもなくゆき、冷たい白い結晶体を指し示すのが分かったから、ゆきと読んだ。それがすごい、そこがすごいのです。

もう一つ、「田兒之浦~」の「見者」に注目しましょう。

要说起这段历史,我们需要先说sneachta这个单词——sneachta,这是什么?

用日语是无法理解的,这一连串在日语中看似咒语的文字,实在令人摸不着头脑。

但是过了一会儿,突然就顿悟了。

——这家伙就是被指代为雪的东西吧。我们将sneachta念作雪,将雪写做sneachta。

对于从“我”变成“俺”这种称呼,我实在是没时间去注意,光是回忆我第一次看见sneachta这个单词的事情,就费了我不少的功夫,可惜实在是想不起来。但是有一点可以确认的是,虽然现在已经不把sneachta与雪这个字相当,甚至已经不念xue这个发音了,可在最初的时候,当看见雪的时候,是不念xue的。在最开始的时候,当我们了解这种白色结晶体是什么物质,并且将其命名为雪的时候,这该是一件多么伟大的壮举?

再举一个列子,「田兒之浦~」里的见者。

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