2021-02-15 日记

世界の既成ルール
 もともと安心感に欠けるが、誰にも助けられずに一人で強くなった大人は、誰でも自分らしく楽しく、あるいは、くよくよと生きている。楽しく生きられるように無意味な社交を減らすには、例えば、仕事や日常茶飯事のせいか時間が少ないので、付き合うとき、不快感がちょっとだけあっても、何もわからず、いきなりと形が消えていく恐れがある、と深く知っていたのだ(もし自分がこうなったら、この世にいるなんて許さない)。そして彼らの「感動させる最小限」の高さは、今の実力ではできかねるほどだった。それによって、年上好きでも、その特質が怖くて、話すとき自分の言動を慎みすぎてしんどくなるのだ。 
 自分のために前向きの人だって、冷たいところもある。世界の既成ルールに抵抗をちゃんとやめた人から見ると、それがただ日常茶飯事だけだったが、僕から見ると、そんな人に愚痴とかを話したら、自分を直す時間が少ない、直さないと無視される(30歳ぐらいの人でも、前向きの人でも、人に対する心にかける時間がないから)、と緊迫感が迫ってくるように感じ、しんどくなるのだ。
 僕は、ただ人に求愛しようとするだけだったのに、慰めるなんてしなくてもいいから、ずっとそばにいてくれればいいんだ!が、だれでもそう思うので、僕はそう言う資格がないのだ。
 誰でも人に気にかけられたい、が、僕は人の気持ちをわかろうとしても、正しくわかれないので、「邪魔だな」って思われるかも知れなく、嫌われちゃう恐れがあるのだ。(事実はそうじゃないかも知れない)
 僕の考え方が基準に合っているか合っていないか、いつも疑って、わからない。

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