「ミステリー小説」みなと町探偵の日常事件簿 第一章 4

第一章 ライターの秘密 4

 夜になると流石に冷えてきた

 俺は例のパン屋が見えるところにいたまだ八時には早いまさかとは思うが、ここまで待って逃げられたら元も子もないからな。

 つーか俺、ライター探してるだけだよな?なんで浮気調査の張り込みみたいなことしてるんだろうか

 俺はあれからブラブラして三笠公園まで歩いた。天気も良かったし、少しくらい昼寝もいいだろうな、なんて思った。

 スマホには早川さんから何度か着信があった。なんなんだよ、あの人…。面倒だから『終わったら連絡します』とだけメッセージを返した。

 結局昼寝ができたのは一時間くらい。ふとした瞬間にリードを離してしまった子どもが犬を探して困っていたからだ。犬は追いかけっこを楽しむように後ろを振り向きながら、捕まらない程度に距離を取りながら駆けていったこうなるとタチが悪い。なかなか捕まらず、しまいにはどこかのおっさんに『兄ちゃん頑張れよ、犬にバカにされてるぞ』と言われ、ギャラリーに笑われるという始末だった。結局、犬が最後には捕まえさせてくれた。きっと子どもが帰る時間だったんだろう。おっさんに言われた言葉はあながち嘘じゃなかった

 その時汗ばんだ(あせばむ)せいだろうか。急に身体が冷えてくる。俺はぶるりと震えた

 彼女は店内で忙しそうに働いていた。店を閉めるころにはどうやら割引セールを始めるらしく、急に客がひっきりなしに訪れていたからだ。

 八時を少し過ぎた頃、客は居なくなり店内の照明が少し暗くなった。CLOSEの札がかかる。すると中年の男性がやって来て、彼女は奥へと入っていった。少し緊張する。出入り口は他にあるはずだ。そこから出て行かれたら追いきれるか?俺は店に近づいていった。

 俺が店の前に立った頃、彼女は奥から出てきた。そして店の正面口から出てきてシャッターを閉め始めた。

「───おまたせ。ご飯食べた?」そう俺に言った。

 彼女は俺を老舗の喫茶店に案内した毛足(けあし)の長い絨毯に重厚なテーブルと椅子。店内はコーヒーのいい香りがしたどうやらここは遅くまでやっているらしい。繁華街の女性たちが客との待ち合わせに使っているらしいことはすぐに分かった。彼女は奥の窓の近くのテーブルを選んだ。

「ここ、結構食べ物も美味しいのよ。あ、男の子には量は物足りないかもだけど」

「大丈夫っす」

 俺は家にある菓子パンを思い出す。昨日だけじゃ食べ切れなかった甘いパン。今日食べないと悪くなりそうだし。

 彼女はシーフードグラタンに紅茶、俺はえびドリアにコーヒーを注文した。

「ここは紅茶も本格派なのよ」

 どうやら紅茶を頼んだ時によほど間抜け面(まぬけづら)をしていたらしい。

「───で、ライターの件だったわね?」

 彼女は急に切り出した。

「はい。ベンさんとこの爺さんに頼まれまして」

「ベンさん?貴方、蓮見さんのお孫さんじゃないの?」

 あ、と俺はポケットを漁る(あさる)慌てて名刺を出した。彼女は名刺を受け取るとマジマジと見詰めた。

「探偵業、何でも屋…?」

「はい、まあ一応。けど今回は正式に依頼されたわけじゃないっていうか。行きつけの店の爺さんにライター貸したら、俺の忘れ物を取ってこいって言われたっていうか」

 ああ、と短く彼女は言った。

「蓮見さんのお孫さんじゃないのね?結城くん?」

「亘でいいっす。はい。えーと”森さん”?」

「私も幸恵でいいわよ」

 そう言うと幸恵さんはトートバッグの中からポーチを取り出した。そしてその中から件のライターを取り出してテーブルの上に置いた。

 アメジストの嵌った特注のZIPPO。確かに爺さんのライターだった。

「───返したくない、って言ったら困る?」

 思ってもみなかった言葉が出てきたここまできてそう言うか?

「売っても たぶんそんなに値はつかないと思いますけど」

「そんな理由じゃないわよ」

「じゃあ理由を聞いても?」

「貰う権利があるから」

 貰う権利?爺セクハラでもしたのか!

「……違うな。私が欲しかったから。ひとつくらい形見(かたみ)があってもいいかなって」

は?形見……?

 幸恵さんはそれから暫く黙ったままだった。俺も何も言わなかった何か考えているようだったから。

「……長い話になるけど」

 俺は頷いた。

 幸恵さんはトートバッグから手帳を取り出した。そこから一枚の写真を抜き出して、俺の方へ寄越した(よこす)。俺は一礼して写真を手に取る

 それは古い写真で、白黒(しろくろ)の挙げ句セピア色(しょく)に変色(へんしょく)していた

 写っていたのは若い男女二人。二人は寄り添っていて、男のほうは女の腰に手を回していた間違いなく恋人同士だろう。男はスーツに山高帽を斜め(ななめ)に被り、口元のホクロが印象的なイケメンだった。挑戦的に片方の広角だけ上げてニヒルに笑っている。まあどう見ても”やんちゃ系”であることは間違いない。女のほうも派手(はで)な美人だった。肌を多めに露出(ろしゅつ)した魅惑的なドレスを着ていた

「───私の父と母」

「はい。イケメンと美人ですね」

「見て気が付かない?」

 俺はアホみたいに首を傾げた。

「その人、蓮見さんだけど」

 ……は?

 俺は写真と幸恵さんの顔を何度も交互(こいご)に見る。

 は!?い、意味分かんねえ!

「…私、蓮見さんの愛人の子どもなの」

 じ、爺ぃぃーーーーーっ!!

少しはね、記憶があるのよ。立派な車に運転手付きで時々うちに来る男の人。すごく優しくて、いっぱい遊んでくれた欲しい物はなんでも買ってくれてね、もういらないって言ってるのにお人形の洋服とかこれでもかっていうくらい買ってくれた。そんなことより、もっと居て欲しかっただけなのに

 そう言った幸恵さん少し寂しそうな顔をした。

 俺は未だに信じられず、写真を握りしめたままだった

中学にあがる頃だったかな。ある日、母が夜大泣き(おおなき)してて。ずっとその写真握ってるから…なんか分かっちゃったもうあの優しい男の人はうちには来ないんだなって。薄々は気付いてたけどね、他に家があることは。だってうちは他の子と違うから。それ以来、うちはすっかり変わっちゃった。母はいきなりスナックとか始めちゃうし。私も手伝わされるし。それまで母はほとんど家にいたから」

 食い扶持(くいぶち)は稼がないとならない環境になったということか。それは俺にも理解できた。

「母は何も言わなかったわ。でも飾ってあった写真とか全部無くなっちゃって、丸わかりよね。ああ、捨てられたんだなって。それでうち、苦しくなっちゃったんだなって。だから高校までは出たんだけど、それから先は行かなかった。勉強嫌いだったし。それからずっと母と二人でお店切り盛り(きりもり)してた

 幸恵さんは言葉を切った。きっと何も言わないけど、そばにいるって選択をしたんだなって思った。

 そしてグラタンとドリアが届いた。俺は手をつける気にはなれなかった。

「……母が時々おかしなことを言うようになってね、病院で診て貰ったの。そしたらアルツハイマーだってもういい年齢だったし、それも仕方ないかって。店、どうしようかって思ってたらその矢先に転んで大怪我しちゃって。長く入院することになるだろうって言われて、お金もないし店は手放すことにしたわ。そしたらあっけなく逝っちゃって…。それで遺品整理してたら出てきたの、その写真と日記、そして預金通帳」

 預金通帳?

「母の日記をみたら、別れる理由になったのはどうやら本妻(ほんさい)さんに子どもが出来たからだったみたい。それでヤクザ稼業(かぎょう)から足を洗うからって」

 ん?

「それで手切れ金じゃないけど纏まったお金を母にくれたみたいなの。当時は養育費なんて概念はあまりなかったみたいだし。認知なんてされてなかったしね

「…すいません、情報が多すぎて」

 俺は慌てて口を挟む。

「幸恵さんは蓮見さんの子ども。認知はされてないけど」

 幸恵さんは頷く。

「養育費はないけど纏まったお金は貰ってた」

 再び頷く。

「…で、”本妻に子どもが出来た”までは理解したんですけど、えっと…蓮見さんがヤクザだった?」

「あれ?知らなかった?ごめんなさい、私言ってなかった?」

 言ってねーし、誰からも聞いてねえわ。

「蓮見さん、龍神会の若頭補佐だったのよ。結局、若頭にはならなかったけど」

 しかし爺さんなんつー過去が……。

 龍神会……?どっかで聞いたような……。

「母の日記を読んだら、どうやら私が勘違いしちゃってたことが多かったみたいで。その纏まったお金はどうやら私のために遣うって母が決めたみたいなのね。学校に行くとか、結婚する時とかに遣う予定だったみたい結局どっちもしなかったけど。だから一千万円丸々残ってた。利息もついて」

「いっせんまん!?」

 今でもそれなりの金額だが、当時としては相当な額(がく)だとしかいいようがない。

「だから今…ラクして暮らせてるの」

 幸恵さんはそう言うと目を伏せた。

 冷めちゃうから、と食べるのを勧められる。俺は頷くといただきますと小声で呟いた。二人とも黙ったまま口へ運ぶ。俺に関してはあまりに情報過多(かた)で消化しきれてねえ。

「……ラクして暮らしてるとね、余計なことを思ってしまうものよ」

 幸恵さんは手を止めて呟くように言った。

「父に会ってみたいなって思ったの。まだ生きてるかしらって。それで調べてもらって…未だに元気で、よく飲みに行ってるって知ったわ。それであの派遣会社に登録して、もしかして会えるかもしれないって」

「…随分まどろっこしいですね。そこまで分かってたら爺さんが『アムール』の常連だってことくらい分かってたでしょう?」

「半年前に求人広告が店の前に貼ってあったことまで知ってるわよ」

 幸恵さんは笑いながら言った。

「───でも、勇気が出なかった。今さら会って、覚えてないって言われたらって思うと、あと一歩がどうしても踏み出せなかったの

 それは…分かる気もした。年寄りが覚えてないことなんてよくあることだけど、親が自分を覚えてないこととなれば話は別だ。

「それに…初恋の人にも会ってみたかったから」

 初恋?

「当時、父の運転手をしてた人が私の初恋だったの。少し年上のお兄さん。あの頃はすごく年上に思えたな。今ならたいした年齢差でもないんだけど

「あの事務所なら出入りしてるって分かったから。だからあの事務所に登録したの」

 出入り?まさか……

いまじゃ偉い人になっちゃったから私も遠くからしか見たことないんだよね。でも元気そうだったな…相変わらず格好よかったし、早川さん」

「……っ!!うわ、あっつ!!」

 俺はスプーンを投げ出しバタバタして慌てて水を飲んだ。変なとこ入った。しかも熱いっ!

 幸恵さんはオロオロして何故かおしぼりを差し出してくれた。俺、もしかして吹き出したりしたか?

「大丈夫?」

「……はい。なんとか」

 俺はグッタリして答える。早川さんと爺さんは元夫と義父ってだけじゃなかったわけかもっと前からの知り合いだった。しかもヤクザの上下関係だったとか…。

「早川さんとは話したりしなかったんですか?」

 幸恵さんは緩く首を振った

「さっきも言ったとおり。遠くから眺めるしか出来なかったから」

「で、運良く『アムール』に行く機会ができた

「そうね。内心驚いたけど、ここまできたらいいチャンスだと思って。…で、本当に会えた」

「…何か言ってました?」

 幸恵さんは再び首を緩く振った。

「何も。私も何も言えなかった。でも…相変わらず優しくて、何も変わっていなかった

 そうか。そういうもんかもしれないな。

「でも…最後の日、これでもう会えなくなるのかと思ったら……ひとつくらい形見が欲しいなって」

 幸恵さんはそう言ったきり再び黙り込んでしまった。

 ここのコーヒーは本格的で、美味いんだろうけど俺には少し苦かった。紅茶も本格的で大きめのティーポットでやってきて、ポットにカバーまで被せていった。

 俺は正直困っていたここまで聞いて返せって言えるか?そもそも爺さんだって特注のZIPPOと普通のZIPPOの区別がついてるのかも怪しい。もう見つからなかったでいいんじゃないか……

 俺がモヤモヤしながらコーヒーをちびちび飲んでいると、幸恵さんは俺のほうへZIPPOを差し出した。

「……返すわ。探してこいって言われたんでしょ?」

 ああ、まあ、そうなんだけど。

「会えただけでよかったし」

 幸恵さんは俺の手を掴み、無理やり握らせた。

「でも……」

「きっと大切なものだと思うから」

 俺は手の中のZIPPOを見る。

 アメジストの嵌った……確かこういう宝石って意味がなかったか?

 俺は慌ててスマホを取り出して検索する。

「───幸恵さんの誕生月って二月?」

「ええ。二月だけど」

 なるほどな。

 思い出せ。爺さんはなんて言った

 ”あのライターを俺のところまで持ってくる”それが約束だって言ってた。”あのライター”?俺はこの特注のZIPPOだと思っていたが、だとしたら『俺のライター』とか言うんじゃないのか?わざわざ”あのライター”って強調してたよな?

 爺さんは朦朧してるか?早川さんが事務所に来たのは偶然か?しつこいくらい電話してくるのは何故だ?

 俺は一つの答えを導きだした。

 そして手に持ってる”特注の”ZIPPOを幸恵さんに差し出した。

「これ、たぶん貴女のことを忘れないために作ったライターです」

 爺さんの誕生日は九月、亡くなった奥さんも娘さんと同じ 七月生まれだ。あの家族に二月生まれ なんていない。爺さんも特に紫色(むらさきいろ)が好きだなんて聞いたことはない。

 そしてアメジストの石言葉は『誠実』『心の平和』そして…『愛情』。

 爺さんなりに 幸恵さん家族そして自分の家族に 誠実でありたい と思った結果が…ヤクザを辞めるという選択だったんだろう。

 俺は俺の言葉で幸恵さんに伝える

 幸恵さんは黙って聞いていたそして静かに涙を流した。

 さて。

 だからといってライターを持って帰らないわけにはいかない…だろう。”あのライター”とはなんだ?

 俺はふと目に入った写真を手に取る。あ……。

「亡くなったお母さん、煙草吸う人でした?」

「ええ。入院するまで吸ってましたけど

 ビンゴ!写真には女性物と思われる煙草ケースが置いてあった。脇にはそのケースとお揃いの柄のライターが置いてある。

「このライター、まだあります?」

「え、ええ」

 幸恵さんはZIPPOが入ってたケースからライターを取り出した。

「母の形見なので」

 俺はそのライターの火を点けようと試みる。だがカチャカチャと乾いた音がするだけで、一向に火の点く気配はしなかった。

「それ壊れてて火が点かないの。修理しようと思って知り合いの煙草屋さんに聞いて貰ったんだけど、メーカーでももう部品を作ってないって言われて」

 なるほど。壊れたのを持って帰るわけにはいかない。しかも同じポーチに大事そうに入れてるのに、二つを引き離すなんて今さらしたくない。

 俺は手の中のライターを眺める。紅い曲線(きょくせん)の女性らしいライター。これブランドものだよな?もしかしたら似たようなものがあるんじゃないのか…?

「あの、新しいライター幸恵さんに選んで貰えませんか?」

 たぶんこれが最適解だと思う。

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