《日语阅读教程1》第2课 练习与人生——原文+译文+感想

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感想

地理位置上的邻近,历史文化上的渊源,让日本就像是中国的小老乡。

少时各种膜拜大哥的强壮发达有文化,全方位模仿大哥。大哥带他见过世面后,趁哥不备强了哥一把,从此翻身称大王,想让大哥当跟班。

但骨子里又很害怕自己下里巴人的出身为人诟病,担心贫瘠的资源经不起耗用,薄弱的底蕴上不了台面。于是,大哥给的文化不能丢,不仅不能丢,还要保持、强化、创新,要看起来像个历史源远流长、文化底蕴深厚的“上层人士”。

那么问题来了:这娃儿真的跟哥很像很像啊!

儒家思想get√
唐风建筑get√
佛教get√
小桥流水园林get√
天地君亲师get√
饿其体肤空乏其身行拂乱其所为get√
忍耐坚毅get√
闲云野鹤get√
懂规矩get√
家族政治get√
对外国人迷之好感get√
喜欢肤白胸大黑长直get√
生殖崇拜get√

这娃就一迷你古风版哥嘛!

世界观不谈,人生观价值观审美观迷之一致:都觉得封侯拜相踩在多数人头上才是成功;大多认为人生意义就是“我跟大多数人一样,但我比你能”,只有在跟别人的比较中才能找到自我。一旦脱离人群,跟别人不一样,就各种恐慌;一旦哪方面比别人弱,也各种焦躁自卑。

就连教化谏言都惊人一致:先赞人类伟大,再举例子,做对比,扯个外国事例,拉个身边案例,赞下正面美德,强调努力隐忍,落脚民族未来。

行文方式真就是教科书式。结合这段时间发酵的日本幼儿园要求背诵天皇教育敕书(不确定是不是敕书哈)的新闻,忽然生出一种荒谬之感。

私塾?三岁小儿摇头晃脑背皇帝说?我是在看清宫戏咩?小弟这是要干啥?信息时代控制不了成年人就从幼儿下手。高!实在是高!

军事算个球?教育才是终极统治王道。看看台湾,看看伪满洲国,日据几十年,我不大肆杀人,也不夺你太多土地,你继续生活,就让你小孩统统上学读书,植入日本文化,抹去中国痕迹。不用太久,十几年一代人,三十年两代人,五十年三代人,从此只知日本好,忘却中国根,从内心就认为自己是日本魂了。

中国又在干什么呢?语文课本里大肆削减文言内容,删去中国名人故事,抹去中国英雄事迹,删除中国著名文人的文章,增加大量外国名人传说,外国寓言故事,宗教文章……

中国教育部这是混进汉奸了吧?混进汉奸了吧?混进汉奸了吧?


原文

練習と人生

(東京外国語大学日本語付属学校「日本語2」より)

人間は、不可能と思われたことを次々と可能にしてきた。例えば、鳥のような空を飛ぶことは、人類が大昔から持っていた願いであったが、今日では、飛行機によってどんな鳥よりもよく空を飛べるようになった。

人間は、どのようにして、不可能なことを実行可能にしてきたのだろうか。私は、それは発明と練習によって行われたのだと思わっている。飛行機をが発明されて、空を飛べるようになったのだが、私は自分で飛行機を操縦して空を飛ぶことはできない。そのための訓練を受けていないのだから、そんなことができようはずがない。

私は、先ごろ、米国の宇宙飛行の研究所の施設を参観した。そこには複雑な機器や装置が設けられていた。それとともに、飛行士たちは厳しい訓練を受けているのも見た。宇宙飛行という仕事に、多くの発明が使われると同時に、厳しい練習が積まれているのである。

練習によって不可能を可能にする例として、水泳のことを考えて見よう。生まれたままもの人間は、水に落ちると、溺れて死ぬ。水泳を練習した者は、すぐに手足を動かして浮かぶ。人は、溺れて死ぬ動物から、浮かんで生きる動物に変わるのである。これは、考えて見ると、別種の生物になるほどの飛躍だ。

練習によって、我々は、肉体的な能力だけでなく、精神的な能力も発達(はったつ)させることができる。水泳の高飛び込みの場合を考えて見よう。飛び込むは、高さ10メールの所から行うもうである。初めてこの台に立った者は誰でも、恐れずにはいられないだろう。10メールの高さから落ちたものが水に叩く力は、相当(そうとう)激しい(はげしい)もので、飛び込むの選手が被っているぬる帽子(ぼうし)は、練習を続けているうちに、裂けて、ぼろぼろになってしまうという。

ところが、練習を積んだ青年は、こうした衝撃を恐れない。高い台の端から身を躍らせて、美しいフォームで水中に突入する。普通の者がは、台の上で足がすくみ、座り込んでしまうが、彼等は素晴らしい勇者である。その勇気は単純なものかもしれない。しかし、恐れに怯まないというものは、立派(りっぱ)な人間の美徳である。勇気という徳(どく)が練習によって高められたのである。

ただ、練習というのもは決して容易なものではない。それは絶えず努力と忍耐(にんたい)を必要する。そのことは、水泳の練習一つをとっても明らかであろう。努力(どりょく)と忍耐を嫌う(きらう)者には練習はできない。そのような練習嫌いはいつの世にもいるが、このごろ、努力すること、何かに耐えること、苦労することを好(この)まない傾向があるのではないだろうか。

前に述べたように、肉体的能力のみならず、精神的能力も、また、練習により高まるのであるから、もし、練習を軽く(かるく)見るような傾向があるならば、民族の将来のために、お互いに戒め(いましめ)なければならない。


译文

练习与人生

人类逐步将原来认为不可能的事一件件变为可能。例如:飞鸟般翱翔蓝天,就是人类夙愿,而今天,人类乘上飞机飞得比哪种鸟都高。

人类是如何将不可能的事变为可能的呢?我认为,这是依靠发明和练习来实现的。飞机发明后,人类就能在空中飞了,而我却不能自己驾驶飞机在天空飞翔。因为我没有受过飞机驾驶训练,所以不可能会开飞机。

不久前,我参观了美国宇航研究所,那里安装了复杂的机器和设备。与此同时,我还看到宇航员们正在经受严格的训练。许多发明都被应用于宇航这一工作中。而且,宇航员还在反复进行严格训练。

通过练习,可以将不可能的事变为可能。就拿游泳来说吧。出生后没学过游泳的人,一旦落水就会溺水身亡,而学过游泳的人就会立刻活动手脚浮出水面。人类由溺水而死的动物变成可以漂浮在水面的动物。试想一下,还真是由一种生物变为另一种生物的飞跃呢。

通过练习,我们不仅能够提高身体层面的能力,精神层面的能力也能得到提高。先看看高台跳水吧。高台跳水是要从10米高的地方跳入水中,第一次站在这个跳台上,恐怕任何人都不会不害怕。据说,物体从10米高的地方落入水中时的冲击力相当大,所以跳水运动员戴的帽子在训练过程中会变得破烂不堪。

然而,经过反复练习的年轻人却不怕这种冲击,他们从高台一端纵身跃下,姿态优美地落入水中。一般人上了跳台会双腿发软,坐下不敢动,所以这些年轻人是了不起的勇者。也许这种勇气是单纯的,可是,无所畏惧是豪杰所具有的美德,而勇气是可以通过练习来增强的。

不过,练习绝非易事,需要持续的努力和忍耐。关于这一点,举一个练习游泳的例子便足以明白。不想努力,不愿忍耐的人不可能坚持练习下去。在任何时代都有这种不愿练习的人,现在不就有不愿练习,不想忍耐,不甘吃苦的倾向吗?

如上所述,不仅身体层面的能力,精神层面的能力也可以通过练习来增强。所以,如果出现了轻视练习的倾向,那么为了民族的未来,我们要互相勉励。


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