翻译《村上さんのところ》—— 16-20个问答

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《村上さんのところ》

16)安西水丸作品の魅力

安西水丸作品的魅力

質問:

こんにちは。

私の息子(1歳7ヶ月)は絵本を殆ど読もうとしないのに、安西水丸さんの絵本にだけは強く共鳴し、歓びの表情を炸裂させます。村上さんは安西水丸さんと組んで、相乗効果を持つ様々な作品をお作りになっておられますが、安西さんの作品持つ普通的な魅力って何なのでしょうか?

教えて頂ければ幸いです。

村上先生,您好!

我的儿子(一岁7个月)基本上是不看绘本的,可是唯独对安西水丸先生的绘本产生强烈的共鸣,会爆出欢喜的表情。村上先生与安西先生组合起来,创作了各种各样带着协同作用的作品,不过安西先生的作品本身带着的普通的魅力是什么呢?

若能告知会非常高兴。

回答:

へえ、そうなんだ。水丸さんもそれを聞いたら、さぞ喜ばれるだろうと思います。

水丸さんが幼少時を過ごされた千葉県千倉にある橋には、水丸さんの描いたえのタイルと、小学生たちの描いた絵のタイルとが、並べて飾られています。

「ああいうのってさ、小学生には負けるんだよね」と画家はにこにこしながら話しておられました。僕はじっさいに見ましたが、「違いがよくわからん」という部分も見受けられました。水丸さんも小学生に負けてないですよ、ほんと。

啊, 这么一回事啊。要是水丸先生能听到这件事情的话, 一定能让他高兴的。

在水丸先生小时候住过的千叶县的千倉的一道桥上,并列装饰着有水丸先生画的画的瓷砖,和小学生们画的画的瓷砖。

「要我说啊,怕是要输给小学生了」有画家一边笑一边说。我确实有去看过,也能判断出「不知道有什么不一样」的那些部分。水丸先生并没有输给小学生哦,真的。

17)身近な人の死の受け止め方

接受亲近的人的死亡的方法

質問:

大学生の頃から村上さんのファンでほとんどの著書はよませていただいてます。

いつも村上さんの本を読むと、答えは出ないけどとにかくよく考えるようになるのです。

大抵の村上さんの著書でよく考えるのが死についてです。御嶽山の噴火で親しい友を亡くしました。兄も父も以前事故で突然亡くしました。死についての村上さんの考えを聞きたいです。

よくその人の分まで幸せに、精一杯生きろと言われますけど、その人がいたことの幸せが失われた中でどう受け止めていいのかわかりません。自分で見つけて自分で歩んでいくしかないと思うのですが、それはその人を忘れることになりそうで怖いです。人間でエゴイストで残酷でそうするしかないのでしょうか。

我从大学生的时候开始成为村上先生的粉丝,大部分的著作都读过了。

一直在读村上先生的书,虽然没有答案,不过变得会认真思考了。

村上先生大部分的著作都在思考关于死亡的事情。与我非常亲近的朋友因为御嶽山的火山喷火而死亡。哥哥和父亲以前也是因为事故而突然离去的。关于死亡,想听听村上先生的看法。

虽然被告知说要好好地竭尽全力,幸福地活出那个人的份儿,可因那个人的存在而有的幸福却在消失当中,我不知道该如何接受。虽然想着只能按照自己的判断而一个人向前走,可恐怖的是这就变得会把那个人给忘记了。人类的利己, 残酷,是不是也是没有办法的呢。

回答:

とてもお気の毒です。親しい方を事故で亡くされると、自分という存在から何かが急激にもぎ取られてしまったような気がします。なかなかそれを受け入れることができません。気持ちの中に空洞ができてしまいます。僕にもそういう経験があります。僕があなたにアドバイスできることはほとんど何もないのですが、もしあなたの中に空洞があるのなら、その空洞をできるでけそのままに保存しておくというのも、大事なことではないかと思います。無理にその空洞を埋める必要はないのではないかと。これからあなたがご自分の人生を生きて、いろんなことを体験し、素敵な音楽を聴いたり、優れた本を読んでいるうちに、その空洞は自然に、少しずつ違うかたちをとっていくことになるかと思います。人が生きていくというのはそういうことなのだろうと、僕は考えているのですが。

真的是非常地令人悲伤。亲近的人因为事故而死亡,心里会觉得要从自身的存在看有什么能被剧烈地揪下来的东西。要接受那样的事情是不可能的。心里面出现了空洞。我也曾有过这样的经历。我基本上没有能给到你的建议,不过如果你的心里面出现了空洞,尽可能地让那个空洞维持原样保存下来,我想也是挺重要的。没有必要设法去填补那个空洞。从此以后你过自己的人生,在体验各种各样的事情,听非常棒的音乐,读优秀的书籍的过程中,那个空洞会自然地,一点一点地,变得能形成不同的形状。人活着大概就是这么一回事吧,这是我的看法。

18)結末はいつ考えているのですか

什么时候思考故事的结局的呢?

質問:

村上さんは小説を書くときある程度結末まで考えて書き始めるのか、書きながら結末を考えていくのか、どのように話を考えられているのでしょうか?

村上先生写小说的时候会有点考虑到结局而开始写的呢,还是一边写一边思考结局的呢,会考虑什么样的话呢?

回答:

書きながら考えます。最初から結論を決めちゃうと、書くのがつまらないです。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は最後の結論がどうしても定まらなくて、いくつかのヴァージョンを書きました。そして結局今あるものに落ち書きました。ほかのヴぁージョンもなかなか素敵だったんですが。

でもそういうのはあくまで例外です。いつもだいたい結論は、書いているうちに自然にすっと出てきます。その「すっと」という感じがいいんです。

是一边写一边思考的。如果一开始就决定了结论,那么写作起来就很无聊。

「世界尽头与冷酷仙境」这本书最后的结局怎么都决定不了,于是写了好几个版本。最后落实了如今的这个结局。虽然其他的版本也相当棒。不过那种事情无论如何都是例外的。一直以来大部分的结局,都是在写的过程中自然地一下子出来的。那种「一下子」的感觉非常的棒。

19)自分のことがすきですか?

喜欢自己吗?

質問:

村上さんこんばんは。私はあんまり自分のことが好きではありません。村上さんはご自身のことがお好きですか。

村上先生晚上好。我基本上不喜欢自己。村上先生喜欢自己吗?

回答:

あまり自分については考えないようにして生きています。なるべくほかのことについて考えるようにしています。ほかのことについてどう考えるかという、姿勢や考え方の中に「あなた」はいます。その関係性が大事なうのであって、あなたが誰かというのは、じっさいはそれほど大事なことではありません。そう考えていくと、少しらくになれるんじゃないかな。

我基本上不会考虑与自己有关的事情而活着的。尽可能去考虑其他的事情。对于其他事情是怎么思考的,那个姿态或者思考方式里面就有「你」的存在。那个关系性是非常重要的,你是谁,实际上并不是那么重要的。这样一想,是不是能稍微地变得快乐起来呢。

20)「本屋」の行く末について

关于「书店」的将来

質問:

私がお聞きさしたいのは、「本屋」の行く末についてです。

私自身、本が好きで......少しでも関わりたくて仕事にしてしまうぐらい好きなんです。

でも、最近は全たく元気がない(つまり売れない)現状です。

先生の本だけは別なんです、ご存知のとおり。「本」が世の中から無くなってしまう事は100%ないと信じていますが、「本屋」の方は世の中からなくなってしまいそうな勢いです。

20年書店員をやってましたが、いろいろな物事が減る一方なんです。まだまだ底に届かない感じで落ちるばかりです。

先生は「本屋」って今後どうなると思ってらっしゃいますか?私は自身の子供や孫の世代に「本屋」を見せてあげられますかね?写真見せながら、昔話しなきゃならないですかね。

我想问的是,关于书店的将来的事情。

我自己喜欢书......喜欢到即便是一点点也想从事与它相关的工作。

不过,最近完全是不景气(也就是说卖不出去)的现状。

只有先生的书是例外的,如您所知。相信「书」要从世界消失的事情是100%不会有的,不过「书店」却有要从世界消失这样的趋势。

我当了20年的书店员,很多事物朝着减退的方向。一味地陷入到心底仍然无法言说的感受里。

先生对于「书店」以后的何去何从是怎么考虑的呢?我会让自己的孩子或者孙辈看「书店」的样子。让他们看书店照片的时候,就忍不住诉说过去的事。

回答:

僕も書店がもちろん好きで、よく行くのですが、その数は年を追って少なくなっていくようです。アメリカで書店の数は着実に減っています。キンドルとかネット通販とか、そういう方式で本を読み、本を手に入れる人が多くなっているからでしょ。まずインディペンデントの書店が消えていき、それからチューンのブックストアも淘汰されていきました。残念なことです。ふらっと書店に行って、ぶらぶら本を見てあてもなく時間をつぶすというのはとても素敵なことなんですかね(今はまたインディペンデントの書店が少し息を吹き返しているようですか。

でもときどき思うんですが、毎月出版されるの本の数っておおすぎませんか?あまり数が売れないから、点数を多くしないわけに行かないんだという話しも耳にしましたが、それにしてもあまりにも多すぎる気がします。とくに新書とか文庫本とか、自社の本棚のスベースを確保するために、どんどん数を出していく。

当然中身は薄くなっていく。出版業界が自分で自分の首を絞めているような部分もあります。こう出版点数が多いと、書店の作業たいへんですよね。

もう少しおちついた書籍環境をつくっていくことも大事じゃないかという気がします。

本屋さん、いろんな難しい問題があるでしょうが、どう気長にがんばてください。

我当然是喜欢书店的,也经常去,不过去的次数逐年在减少。在美国,书店的数量也在踏踏实实地减少。Kindle啦网络销售啦,以这样的方式读书,能把书拿到手的人也变得多了起来。首先是独立书店在消失,然后连锁书店也渐渐被淘汰。真是非常遗憾的事情。偶尔去书店,溜达着看书,漫无目的地消磨时间,真的是非常棒的事情(现在独立书店是否在渐渐地恢复生机呢)

不过有时候也会想,每个月出版的书的数量是不是有点多?因为卖的数量不多,然而也常常听到说数量不多也不行,即便如此感觉也是太多了。尤其是新书或者袖珍本,为了确保自己公司的书架的空间,连续不断地增加数量。

当然容纳的内容变薄了。也存在出版社自己扼杀自己的部分。这样子的出版数量的增多,书店的工作就变得非常困难。

由心觉得营造一个更加安稳的书籍环境是非常重要的。

书店的话,即便有很多困难的问题存在,还请带着耐心加油。

翻译by本人,陌上樱花。因个人能力有限,不妥之处请见谅。


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