月12日の毎日新聞朝刊にこんな記事が載ってました.「麻生太郎首相は11日、首相官邸で『全米さくらの女王』のタチアナデュランさん(19)と、『第22代日本さくらの女王』の数井えりささん(20)の表敬訪問を受けた。首相は、1965年に当時の全米さくらの女王が祖父、故吉田茂元首相を神奈川県大磯町の私邸に訪問した際の写真をデュランさんに示し サイドビジネス、『祖父も米国との交流に力を入れていた』と語った。訪問後、デュランさんは感激した面持ちで『うれしい』と語った。」日本とアメリカのそれぞれの桜の女王が麻生首相に表訪問したというだけの何てことない記事です。
僕が気になったのは最後の「訪問後、デュランさんは感激した面持ちで『うれしい』と語った。」の部分です。タチアナデュランさんと数井えりささんが麻生首相を訪問したのは間違いない「事実」です。デュランさんが「うれしい」と語ったのもおそらく「事実」なのでしょう。でも、彼女は自分から「うれしい」と言ったのでしょうか。記者の質問に儀礼的に 治験「うれしい」と答えただけかもしれません。今、どんなお気持ちですか?」と聞かれて「うれしいです」と答えるのはよくあることです。本心は分かりません。任務を果たせてホッとしたというのが実感かもしれません。記事を読む限りそのあたりは不明です。
そして、「うれしい」の前の「感激した面持ちで」という部分、これはもう記者の主観です。悪く言うと事実の歪曲です。こういうのはよくありますね。 サッカーユニフォームたとえば刑事事件の被告が有罪判決を受けたとき、特に目立った表情の変化がなければ「表情一つ変えず」となり、少しでも笑みを見せようものなら「ふてぶてしい笑い」と書かれます。つまり、新聞だけでなく、テレビ、ラジオ、インターネットニュース、あらゆるニュースは事実というタネにレポーター記者編集者の主観という衣をつけた天ぷらみたいなものなんですよ。ただし、主観の衣がすべてダメなわけじゃありません。単なる事実の羅列では面白くもなんともないからです。無数にある事実の中から、これは面白いという主観に基づいて選び、読者に興味を持たせるような文章に仕上げる。これがニュースというものなのです。事実の選び方と料理の仕方が面白ければ、受け取る側も納得してしまうのです。純粋に「客観的な報道」なんてたぶん幻想なんですよ。そういう意味で上の記事を見直すと、「感激した面持ちで」はどうなんでしょうねえ。もっとほかの表現があったような気がします。