寺田寅彦 田园杂感

田園雑感

寺田寅彦

翻译:王志镐

現代の多くの人間に都会と田舎とどちらが好きかという問いを出すのは、蛙に水と陸とどっちがいいかと聞くようなものかもしれない。

当今很多人会问出喜欢城市还是喜欢乡下这样的问题,这就像是在打听青蛙生活在水里还是生活在陆上好。

田舎だけしか知らない人には田舎はわからないし、都会から踏み出した事のない人には都会はわからない。都鄙両方に往来する人は両方を少しずつ知っている。その結果はどちらもわからない前の二者よりも悪いかもしれない。性格が分裂して徹底した没分暁漢になれなくなるから。それはとにかく、自分は今のところでは田舎よりも都会に生活する事を希望し、それを実行している。

只待在乡村对其一无所知的人不懂得乡村,从未从城市迈出一步的人也不懂得城市。在城乡之间往来的人则对两者多少知道一点,这个结果比对哪一方都知之甚少的前面两者也许是不利的。因为他们成了性格分裂、彻底不明是非的人。不管怎样,我在现在的地方考虑问题,比起乡村来更希望生活在城市,并且正在实行之。

田舎の生活を避けたい第一の理由は、田舎の人のあまりに親切な事である。人のする事を冷淡に見放しておいてくれない事である。たとえば雨のふる日に傘(かさ)をささないで往来を歩きたいと思ったとしても、なかなかそうはさせてくれない。鼻の先に止まった蚊をそっとしておきたいと思っても、それは一通りの申し訳では許されない。

避开农村生活的第一个理由是农村人过于亲密,对别人做的事情不会漠不关心,置之不理。比如说某一天下雨我未打伞,只是想在街上走走,可是在农村怎么也不会让我这样做。我想不惊动落在我鼻尖上的蚊子,那可是一般的辩解所不容许的。

親切であるために人の一挙一動は断えず注意深い目で四方から監視されている。たとえば何月何日の何時ごろに、私がすすけた麦藁帽をかぶって、某の橋を渡ったというような事実が、私の知らない人の口から次第に伝わって、おしまいにはそれが私の耳にもはいるのである。個人の一挙一動は寒天のような濃厚な媒質を透して伝播(でんぱ)するのである。

正因为有了这种亲密,使我总觉得自己的一举一动像是在被谁监视着一样。就像我何年何月何时戴着一顶发黑的草帽,过了一座叫什么桥的这件事,被我根本就不认识的人传来传去,到最后又传入到我的耳朵中。个人的一举一动都要通过像琼脂那样浓厚的媒介来传播。

反応を要求しない親切ならば受けてもそれほど恐ろしくないが、田舎の人の質樸さと正直さはそのような投げやりな事は許容しない。それでこれらの人々から受けた親切は一々明細に記録しておいて、気長にそしてなしくずしにこれを償却しなければならないのである。

如果是不求反应的亲切,即使接受也并不是一件可怕的事情,可是乡下人朴素耿直的性格是不允许那样随便的事情的。所以,接受了人家的恩惠,就一定要逐一细细铭记,耐心地一点点偿还。

今ではどうだか知らないが、私の国では村の豪家などで男子が生まれると、その次の正月は村じゅうの若い者が寄って、四畳敷き六畳敷きの大きな凧をこしらえてその家にかつぎ込む。そしてそれに紅白、あるいは紺と白と継ぎ分けた紙の尾を幾条もつけて、西北の季節風に飛揚させる。刈り株ばかりの冬田の中を紅もめんやうこんもめんで頬かぶりをした若い衆が酒の勢いで縦横に駆け回るのはなかなか威勢がいい、近辺のスパルタ人種の子供らはめいめいに小さな凧を揚げてそれを大凧の尾にからみつかせ、その断片を掠奪しようと争うのである。大凧が充分に風をはらんで揚がる時は若者の二人や三人は引きずられるくらいの強い牽引力をもっている。

虽然至今还不知为何,在我的家乡,村里的豪门如果出生了一个男孩,就在次年正月将村里年轻人聚集起来,建造一个有四屏到六屏的大风筝,抬进那人家去。然后在那上面安上了几条红白或蓝白的分开的纸尾巴,乘着西北季风飞扬起来。在只剩禾茬的冬田里,那些用红色或郁金香色头巾包住脸颊的众多年轻人,醉气冲冲地到处乱跑,劲头十足,附近斯巴达克人种的孩子们各自放着小风筝,与大风筝的尾巴缠在一起,还为掠夺它们的断片而争个不停。当大风筝充分地鼓满了风而飞扬的时候,年轻人用两人或三人的强大牵引力来拉拽。

凧揚げのあとは酒宴である。それはほんとうにバッカスの酒宴で、酒は泉とあふれ、肉は林とうずたかく、その間をパンの群れがニンフの群れを追い回すのである。

放完风筝之后,酒宴就开始了。那是真正的酒神巴克斯的酒宴,酒像泉水似的溢出,肉堆积如山,在那期间潘神们到处追逐着宁芙们。

豪家に生まれた子供が女であったために、ひどく失望した若い者らは、大きな羽子板へ凧のように糸目をつけてかつぎ込んだなどという話さえある。

甚至有这样的传说——豪门里出生的孩子因为生了女孩,过于失望的年轻人将硕大的毽球板像风筝那样系着细线抬进来。

子供の初節句、結婚の披露、還暦の祝い、そういう機会はすべて村のバッカスにささげられる。そうしなければその土地には住んでいられないのである。

孩子的第一个节日,结婚披露会,庆祝第六十个生日,有机会把全村的酒神都贡献出来。不这样做的话,将不允许住在当地。

そういう家に不幸のあった時には村じゅうの人が寄り集まって万端の世話をする。世話人があまりおおぜいであるために事務はかえって渋滞する場合もある。そして最後にはやはり酒が出なければ収まらない。

在这样的家庭发生不幸的时候,村中的人聚集起来,给予百般照顾。由于想帮助的人很多,反而出现使事情停滞的情况,最后还是不摆酒席就无法收场。

ある豪家の老人が死んだ葬式の晩に、ある男は十二分の酒を飲んで帰る途中の田んぼ道で、連れの男の首玉にかじりついて、今夜ぐらい愉快に飲んだ事は近来にないという事をなんべんもなんべんも繰り返しながらよろけ歩いていた。これなどは最も徹底的な一例であろう。

在某豪门的老人的葬礼晚上,某男子喝多了酒,在回家途中的田间小道上紧紧抱住同伴的脖子,一边反复唠叨着今夜喝得太高兴了,近来从来没有过,一边摇摇晃晃地走着。这也许是最彻底的一个例子吧。

危篤な病人の枕もとへはおおぜいの見舞い人が詰めかける。病人の頭の上へ逆さまに汗臭い油ぎった顔をさし出して、むつかしい挨拶をしむつかしい質問をしかける。いっそう親切なのになると瀕死の人にいやがらせを言う。そうして病人は臨終の間ぎわまで隣人の親切を身にしみるまで味わわされるのである。


在病危的人枕边,大批来问候的人蜂拥而至。在病人头上颠倒位置探出汗臭油腻的脸,开始对病人进行晦涩的问候,复杂的质询。如果对病人更加亲切,那就是对濒死的人说不愉快的话。这样病人在临终之前,让邻居的关怀铭刻在心,深刻体验。

田舎(いなか)の自然はたしかに美しい。空の色でも木の葉の色でも、都会で見るのとはまるでちがっている。そういう美しさも慣れると美しさを感じなくなるだろうという人もあるが、そうとは限らない。自然の美の奥行きはそう見すかされやすいものではない。長く見ていればいるほどいくらでも新しい美しさを発見する事ができるはずのものである。できなければそれは目が弱いからであろう。一年や二年で見飽きるようなものであったら、自然に関する芸術や科学は数千年前に完結してしまっているはずである。

六つになる親類の子供が去年の暮れから東京へ来ている。これに東京と国とどっちがいいかと聞いてみたら、おくにのほうがいいと言った。どうしてかと聞くと「お国の川にはえびがいるから」と答えた。

在农村,自然确实是美。天空的颜色也好,树叶的颜色也好,都与都市看见的完全不同。如果说习惯了那样的美,就感觉不到美了,那倒未必。要看透自然美的深度并不容易。如果观察得长久,就应该能够多少发现新的美的事物。如果不能做到,那是因为眼睛弱视吧。如果有一两年就看够了的东西的话,那么与自然有关的艺术和科学应该在数千年前就完成了。

亲戚六岁的孩子去年年底来东京,打听东京与家乡那里好,他说还是家乡好。问他为什么,他回答说“因为家乡的小河里有虾。”

この子供のえびと言ったのは必ずしも動物学上のえびの事ではない。えびのいる清洌(せいれつ)な小川の流れ、それに緑の影をひたす森や山、河畔に咲き乱れる草の花、そういうようなもの全体を引っくるめた田舎の自然を象徴するえびでなければならない。東京でさかな屋から川えびを買って来てこの子供にやってみればこの事は容易に証明されるだろう。

要说这个孩子的虾,并不一定是动物学上的虾。那一定是在有虾生活着的清冷的小河的流水中,那浸染着绿茵的山林,河畔盛开的花草,包括那样全体的农村自然的象征。如果把在东京海鲜店买来的河虾给这个孩子看的话,这样的事情是很容易证明的。

私自身もこのえびの事を考えると、田舎が恋しくなる。しかしそれは現在の田舎ではなくて、過去の思い出の中にある田舎である。えびは今でもいるが「子供の私」はもうそこにはいないからである。

我自己对这个虾的事情的看法,是对农村的依恋。不过不是现在的农村,而是过去记忆中的农村。因为今天的虾,在这里已经不是“孩子的虾”了。

しかしこの「子供の私」は今でも「おとなの私」の中のどこかに隠れている。そして意外な時に出て来て外界をのぞく事がある。たとえば郊外を歩いていて道ばたの名もない草の花を見る時や、あるいは遠くの杉の木のこずえの神秘的な色彩を見ている時に、わずかの瞬間だけではあるが、このえびの幻影を認める事ができる。それが消えたあとに残るものは淡い「時の悲しみ」である。

可是这个“孩子的我”如今已经隐藏在“成年人的我”之中的什么地方了。然而在意外的时候出来,会窥探到外界的事情。比如说,在郊外散步的道路旁见到无名花草时,或者见到远处杉树梢头神秘的色彩时,仅仅是瞬间的,能够见到这个虾的幻影而已,是在它消失之后,残留下来的淡淡的“时间的悲哀”而已。

自然くらい人間に親切なものはない。そしてその親切さは田舎の人の親切さとは全く種類のちがったものである。都会にはこの自然が欠乏していてそのかわりに田舎の「人」が入り込んでいるのである。

自然对人类并不是亲密的朋友,而且那亲密与乡下人的亲密是完全不同的种类。在都市缺乏的这种自然,作为代替,是农村的“人”正在进入。

盆踊りというものはこのごろもうなくなったのか、それとも警察の監視のもとにある形式で保存されている所もあるかどうだか私は知らない。

盂兰盆会舞现在已经没有了,或者它在警察的监视下,以另一种形式保存在什么地方,我也不知道。


私が前後にただ一度盆踊りを見たのは今から二十年ほど前に南海のある漁村での事であった。肺結核でそこに転地しているある人を見舞いに行って一晩泊まった時がちょうど旧暦の盆の幾日かであった。蒸し暑い、蚊の多い、そしてどことなく魚臭い夕靄の上を眠いような月が照らしていた。

我前后仅看到一次的盂兰盆会舞,至今几乎有二十年前了,那是在南海的某个渔村。因为去看望生肺结核病到这里异地疗养的某人,在此住了一夜,恰逢旧历盂兰盆节那几天。天气闷热,多蚊虫,因此总觉得像是被睡在鱼臭的暮霭之上的月亮照着。

注:盂兰盆节(别名:盂兰盆会),是指每年农历七月十五日的节日。有些地方俗称该节日为鬼节、施孤,或亡人节、七月半等。一定意义上,中元节归属道教,盂兰盆节归属佛教。

貴船神社の森影の広場にほんの五六人の影が踊っていた。どういう人たちであったかそれはもう覚えていない。私にはただなんとなくそれがおとぎ話にあるようなさびしい山中の妖精の舞踊を思い出させた。そしてその時なぜだか感傷的な気分を誘われた。

贵船神社的森严的广场上,仅有五六个人的影子在跳舞。有什么样的人才能不被人记得?我总觉得这只能使人联想到童话故事里那样孤寂的妖精的舞蹈,而且那时候为何引起了感伤的气氛?

その時見舞った病人はそれからまもなくなくなったのである。

私は今でも盆踊りというとその夜を思い出すが、不思議な錯覚から、その時踊っていた妖精のような人影の中に、死んだその人の影がいっしょに踊っていたのだというような気がしてしかたがない。

那时候探望过的病人,从那时起一会儿就死了。

我至今还在回忆那天夜里的盂兰盆会舞,从不可思议的错觉开始,那时候正在舞蹈的妖精那样的人影之中,已经死去的人的影子在一起舞蹈,一定是那样一种气氛。

そして思う。西洋くさい文明が田舎のすみずみまで広がって行っても、盆の月夜には、どこかの山影のような所で、昔からの大和民族の影が昔の踊りを踊っているのではあるまいかと。

而且我还想,不管西洋派头的文明如何将农舍的各个角落扩大,盂兰盆节的月夜,总觉得在山影那样的地方,有过去的大和民族的影子,也许就是过去的舞女在跳舞吧。

盆踊りという言葉にはイディルリックなそしてセンシュアスな余韻がある。しかしそれはどうしても現代のものではない。その余韻の源にさかのぼって行くと徳川時代などを突き抜けて遠い遠い古事記などの時代に到着する。

盂兰盆会舞之类的说法有着独特而性感的余韵。但那也不是什么现代的东西,追溯其余韵之源头,要穿越德川等时代,到达遥远的古事记等时代。

盆踊りのまだ行なわれている所があればそこにはどこかに奈良朝以前の民族の血が若い人たちのからだに流れているような気がしてしかたがない。そうしてそれが今滅亡に瀕しているような悲しみを感ずる。

如果还有正在举行盂兰盆会舞的地方,总觉得那里似乎有着奈良朝之前的民族的血在年轻人的身体里流着,然后为其今天正在濒临灭亡而感到悲哀。

夏の盛りに虫送りという行事が行なわれる。大きな太鼓や鐘があぜ道にすえられて赤裸の人形が力に任せてそれをたたく。

音が四方の山から反響し、家の戸障子にはげしい衝動を与える。空には火炎のような雲の峰が輝いている。朱を注いだような裸の皮膚には汗が水銀のように光っている。すべてがブランギンの油絵を思い出させる。

盛夏会举行驱赶害虫的仪式。巨大的鼓和钟安置在田间小道上,赤裸的人偶用尽全力敲击着。声音在四周的山上回响,给家里的门窗带来强烈的冲击。天空火焰般的云峰在闪烁着。人们裸露的皮肤上好像洒了朱红色,汗水像水银一样在发亮。 这一切都让我想起布兰金的油画。

耳を聾するような音と、眼を眩するような光の強さはその中にかえって澄み通った静寂を醸成する。ただそれはものの空虚なための静かさでなくて、ものの充実しきった時の不思議な静かさである。

はげしい音波の衝動のために、害虫がはたしてふるい落とされるか、落とされた虫がそれきりになるかどうか、たしかな事はだれもおそらく知らなかった。しかしこんな事はどうでもいいような気がする。あれはある無名の宗教の荘重な儀式と考えるべきものである。

震耳欲聋的声音以及耀眼的强光,在此反而营造出清澈的寂静。只是,那不是因为事物空虚而带来的安静,而是与事物的充实隔开时不可思议的安静。

由于激烈的声波冲动,害虫到底会被抖掉,还是被抖掉的虫子在那以后会如何,没有人知道确切的情况。但我觉得这种事无关紧要。那应该看作是某个无名宗教的庄严仪式。

私はここに一つの案をもっている。それはたとえば東京の日比谷公園にある日を期して市民を集合させる。そして田舎で不用になっている虫送りの鐘太鼓を借り集めて来てだれでもにそれをたたかせる。社会に対し、政府に対し、同胞に対しまた家族に対してあらゆる種類の不平不満をいだいている人は、この原始的楽器を原始的の努力をもってたたきつけるのである。

もう少し社会が進歩すると私のこの案を笑う人がなくなるかもしれないような気がする。

我这里有一个方案。例如,期待在东京日比谷公园的一天,让市民们聚集起来。然后,把乡下不用的驱赶害虫仪式钟太鼓召集起来,让谁都参加比赛。 凡是对社会、对政府、对同胞、对家庭怀有所有种类不平不满的人,都可以用原始的努力持有和敲打这种原始乐器。

我觉得社会再进步一点,也许就没有嘲笑我这个方案的人了。

郷里からあまり遠くないA村に木の丸神社というのがある。これは斉明天皇を祭ったものだと言われている。天皇が崩御になった九州のある地方の名がすなわちこの村の名になっている。どういうわけでこの南海の片すみの土地がこの天皇と結びつけられるようになったのか私は知らない。たしかな事はおそらくだれにもわかるまい。それにもかかわらずこういう口碑は人の心を三韓征伐の昔に誘う。そして現代の事相に古い民俗的の背景を与える。

离故乡不远的A村有一座叫做木之丸神社,据说是祭祀齐明天皇的。在天皇驾崩的九州某个地方的名字,也是以这个村子的名字命名的。我不知道为什么这片处于南海偏僻的土地会和这个天皇联系在一起,确实的情况恐怕谁也不知道吧。尽管如此,这样的口碑还是在三韩征伐之前就打动了人们的心,然后赋予现代事件以古老的民俗背景。

この神社の祭礼の儀式が珍しいものであった。子供の時分に一二度見ただけだから、もう大部分は忘れてしまったが、夢のような記憶の中を捜すとこんな事が出て来る。

やはり農家の暇な時季を選んだものだろう。儀式は刈り株の残った冬田の上で行なわれた。そこに神輿が渡御になる。それに従う村じゅうの家々の代表者はみんな裃を着て、傘ほどに大きな菅笠のようなものをかぶっていた。そして左の手に小さな鉦をさげて右の手に持った木づちでそれをたたく。単調な声でゆるやかな拍子で「ナーンモーンデー」と唱えると鉦の音がこれを請けて「カーンコ、カンコ」と響くのである。どういう意味だかわからない。ある人は「南門殿還幸」を意味すると言っていたがそれはあまり当てにはならない。私はむしろ意味のわからないほうがいいような気がしていた。

这个神社祭礼的仪式很罕见。虽然小时候只看过一二次,大部分已经忘记了,但在如梦的记忆中寻找,这样的事情就出现了。

还是选择了农家闲暇的季节吧。仪式在残留有收割植株的冬田上举行。在那里,神桥成为了渡御。于是,全村家家户户的代表们都穿着裤衩,戴着像伞一样大的草帽。然后左手拿着小鼓,用右手拿的木槌敲击。用单调的声音、缓慢的拍子念着“南梦日”,鼓的声音就会受此影响发出“咣、咣”的声音。不知道是什么意思。有人说是“南门殿还幸”的意思,但那不太可靠。我倒觉得不知道什么意思比较好。

神輿の前で相撲がある。しかしそれは相撲をとるのではなくて、相撲を取らないのである。美々しい回しをつけた力士が堂々としてにらみ合っていざ組もうとすると、衛士だか行司だかが飛び出して来て引き分け引き止める。そういう事がなんべんとなく繰り返される。そして結局相撲は取らないでおしまいになるのである。どういう由緒から起こった行事だか私は知らない。それにもかかわらずそれを見る人の心は遠い昔に起こったある何かしらかなり深刻な事件のかすかな反響のようなものを感ずる。

 そのほか「棒使い」と言って、神前で紅白の布を巻いた棒を振り回す儀式もあったが、詳しい事はもうよくは覚えていない。

在神轿前面有相扑表演。但是那不是相扑,并不摔跤。(注:角抵)当打着漂亮手势的力士威风凛凛地互相瞪着眼睛要组对时,卫士或裁判突然跑出来制止,那种事总会莫名其妙地重复。而且最终不摔跤就结束了。我不知道是以什么来历举办的仪式,尽管如此,看到它的人的内心还是感到,那仿佛是在遥远的过去发生的某种相当深刻的事件。

除此之外,还有叫做“棒使者”,在神前挥舞缠着红白布的棍子的仪式,但详细情况已经不记得了。

文明の波が潮のように片田舎にも押し寄せて来て、固有の文化のなごりはたいてい流してしまった。「ナーンモーンデー」の儀式もいつのまにか廃止された。学校へ行って文明を教わっている村の青年たちには、をつけて菅笠をかむって、無意味なような「ナーンモーンデー」を唱える事は、堪え難い屈辱であり、自己を野蛮化する所行のように思われたのである。これは無理のない事である。

文明的浪潮像潮水一样涌到偏僻的乡村,固有的文化情结大都荡然无存。“南梦日”的仪式不知什么时候也被废除了。对于去学校学习文明的村子里的青年们来说,打着梆子咬着草帽,高唱无意义的“南梦日”,这被认为是难以忍受的屈辱,是将自己野蛮化的所作所为。这是理所当然的事。

簡単な言葉と理屈で手早くだれにもわかるように説明のできる事ばかりが、文明の陳列棚(ちんれつだな)の上に美々しく並べられた。そうでないものは塵塚(ちりづか)に捨てられ、存在をさえ否定された。それと共に無意味の中に潜んだ重大な意味の可能性は葬られてしまうのである。幾千年来伝わった民族固有の文化の中から常に新しいものを取り出して、新しくそれを展開させる人はどこにもなかった。「改造」という叫び声は、内にあるもののエヴォリューションではなくて、木に竹をつぐような意味にのみもてはやされた。それであの親切な情誼の厚い田舎の人たちは切っても切れぬ祖先の魂と影とを弊履のごとく捨ててしまった。そうして自分とは縁のない遠い異国の歴史と背景が産み出した新思想を輸入している。伝来の家や田畑を売り払って株式に手を出すと同じ行き方である。

全都是用简单的语言和道理谁都能明白地说明的事情,漂亮地摆在文明的陈列架上。否则就被抛弃在垃圾场,甚至其存在都被否定。与此同时,潜藏在无意义中的重大意义的可能性也被埋葬了。没有任何人能从几千年来传承下来的民族固有的文化中经常拿出新的东西,并使之重新展开。“改造”的呼声,虽然不在里面,但只被认为是树上添竹的意思。于是,那些深情厚谊的乡下人就像敝履一样,抛弃了他们割舍不尽的祖先的灵魂和影子。然后进口与自己无缘的异国历史和背景所产生的新思想。这就和卖掉传统的房屋和田地开始投资股票是一样的做法。

新思想の本元の西洋へ行って見ると、かえって日本人の目にばかばかしく見えるような大昔の習俗や行事がそのままに行なわれているのはむしろ不思議である。

これはどちらがいいか、議論をするとわからなくなるにきまっている。

ただこのごろの新聞紙上をにぎわすようないろいろの不祥な社会的現象は、それが大本教事件(おおもときょうじけん)でも宝塚事件(たからづかじけん)でも、すべてが直接これらの事件とはなんの関係もない南海の村落でこの「ナンモンデー」の廃止された事とどこかで連関していて、むしろそれの当然の帰結であるような気がする。

そうした田舎(いなか)の塵塚(ちりづか)に朽ちかかっている祖先の遺物の中から新しい生命の種子を拾い出す事が、為政者や思想家の当面の仕事ではあるまいかという気もする。

(大正十年七月、中央公論)

从新思想源头的西洋来看,反而是照抄了日本人眼中看起来荒谬的远古习俗和仪式,这实在是不可思议。

哪个更好,一讨论肯定就知道了。

不过,最近报纸上热闹非凡的社会现象,无论是大本教事件还是宝冢事件,都是在与这些事件毫无直接关系的南海村落被废除的。

我想,从这些濒临乡村尘埃冢的祖先遗物中,选出新生命的种子,不正是执政者和思想家当前的工作吗?

(大正十年七月,中央公论)

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