魔法粉笔与神笔马良

三、魔法のチョークと神筆馬良の対比

次には、魔法のチョークと神筆馬良を比べさせていただきたいと思います。

まずは、神筆馬良の作家を紹介させていただきます。

洪汛濤(1928年4月9日-2001年9月22日は、中国の有名な児童文学の作家と理論家です。筆名は田野、田多野、了的と呂榆です。中國浙江で生まれ、20歳ぐらいで書き込みを始めました。主要作品は、童話「神筆馬良」、「狼毫筆的來歷」、「神筆馬良正傳」、「十兄弟」、「不滅的燈」などがあります。その傑作「神筆馬良」は、1950年代の中国における最も影響力のある子供の文学作品であり、中国の小学校の教科書に組み込まれました。

次は、二人の作家の生活経歴と創作背景についてのことを対比しましょう。

さっき、ユウさんが言った通り、安部公房は中国で少年期を過ごし、共産党の影響を受けました。1950頃、日本は戦後の復興期の経済不況のせいで、人々の生活が困難でした。安部が食うや食わずの極貧で、売血をしながら何とか生活をしているという有様ことでした。そのため、「魔法のチョーク」のような超現実主義的作風の作品がたくさんがあります。それから、洪汛濤の幼年期は、中国の混乱、苦しみ、貧困、さらに戦争にも経て来ました。彼は子供の頃、筆が大好きで、筆についての小説を書こうと思っていました。「神筆馬良では、私の影があり、馬良の経験にはいくつのことが、私も持っていた。」と洪汛濤はそう言いました。これは明らかな童話ですが、美しいことも醜いこともよく見られます。その背景として、中国の創設初期の人々は、良い未来を憧憬して、そして高官などの邪悪な軍と戦う勇気と決心を持っていました。

  続きまして、「魔法のチョーク」と「神筆馬良」の文章の内容の比較です。みなさん、表①をご覧ください。



                (  表  ①  )



                        魔法のチョーク                  神筆馬良

主人公                   アルゴン君                       馬良

職業                       画家                          貧しい家の子供

発生時間             日本1950年                 中国古代

発生地                           部屋                            村

魔法工具                   チョーク                         筆

工具の来歴          誰でもわからない         白鬚の老人からもらった

魔法を得ったすること

                       自分の欲望を満足(食と性)

                         新世界を創造したい

                                                                            貧しい人を助ける

                                                                              悪人を処罰する

ほかの登場人物

               老人、友人、いヴ、アパートの人々

                         、アパートの管理人                       貧しい人々、高官、皇帝


先ずは、「魔法のチョーク」と「神筆馬良」の主人公から、一緒に分析しましょう。

「魔法のチョーク」の主人公のアルゴン君は四つの特徴があります。第一は孤独です。彼の名前のアルゴンは「怠惰」、「不活発」の意味があります。著者は、この意味でアルゴン君の孤独を表現しようと思っています。第二には、物質生活の欠乏と洋式生活に望み過ぎることです。「ぶよぶよになった場末(ばすえ)のアパートの便所(べんじょ)の隣(となり)に...三(さん)メートル四方(しほう)の小(ちい)さな部屋(へや)...壁(かべ)ぎわによせて置(お)かれた椅子(いす)が一(ひと)つあるだけで...」そのように、貧しい画家は当時社会の影響を受けて、仕事がなく、お金もなく、絵具(えのぐ)箱(ばこ)や画架(がか)など生計の道具も売(う)り払(はら)って食べ物を求める状態に落ち込みました。しかし、そんな時にしても、彼はパン、バター、コーヒーなどの洋食を食べたくて、さらに、死ぬまで洋服を着ていました。これは彼が追求するラーフスタイルが洋式であることを示しています。第三には、精神的な寂しさと新世界への希望です。人々の物質的な生活が満足されると、精神的な虚ろが現れます。アルゴン君は自分が創る世界の中で、食が一番満足したから、最も多くの事を考えました。それは、新世界を創造することで、彼は創世の神様になりたいということです。ほかには、彼はミスニッポンを描いて、そして彼女をイヴとして扱い、自分はアダムとして、一緒に新世界を創造したいです。彼は世界を変えたいということです。第四はアルゴン君の行動における妥協と弱さです。魔法のチョークを持って、助けてくれた彼の老人と友人に恩返ししなくて、部屋で自身を封鎖しました。世界を創りかえる心があっても、彼はそれをやり遂げる方法も知らず、ドアの外によって決定しました。いヴが出現した後で、半分のチョークをあげて、権力の引き渡しみたいです。だからこそ彼は失敗して命を落としたのです。

 次には「神筆馬良」の主人公の馬良です。馬良は典型的な英雄式の人物だと思います。理由は三つがあります。第一は馬良の不撓不屈の精神です。家が貧しく、一本の筆さえ持っていなかったが、馬良は絵を描くことを夢としてずっと持っていました。「貧乏人の子供のくせに絵を学びたいのか?」と言われ、絵師に軽蔑されていたが、馬良はずっと真剣に絵を学び、絵を描く技術はとても速く進歩しました。それから、「貧しい人のためだけに描くんだ!」という言葉を話しました。あの日、白鬚の老人が神筆を馬良に与えて、筆には魔法の力がありました。馬良の人生はそこから変わっていて、少年英雄になりました。第二は、馬良の誠実と善良です。筆を得た後で、毎日村の貧しい人のために絵を描きました。大きい牛、水車などのものを描いて、貧しい人のための誓いを守りました。自分が神筆を持っているからといっても物質生活を楽しむことがありませんでした。第三は馬良の勇気と智慧です。高官と皇帝の脅威に直面しても、馬良は恐れていなくて、自身の知恵を使って、悪人を処罰しました。筆は権利の象徴であり、「筆を失う」、「筆を探す」、「筆を守る」などの経歴はすべて馬良の試練です。

 アルゴン君と馬良は全然違う人です。アルゴン君は苦境にあって、運命に甘んじなく、そして想像を借りて、ある程度の精神から解放される哀れな現代人です。馬良は民間で,無数の試練を経ていて ,貧乏人を助け,最後に悪者を打ち負かしたのです。

  続きまして、「魔法のチョーク」と「神筆馬良」の敵役たちです。

 「神筆馬良」の悪人は明確です。それは高官と皇帝です。彼らはすでに権利を握っているが、依然としての貪欲で貧しい人々に関心を持たず、何度も馬良を脅して金を描いてほしいでした。最後にも悪い報いを遭いました。

 「魔法のチョーク」の中で、明確の悪人がありません。アルゴン君の半面はいヴだとおもいます。そして、私はいヴについて二点が話したいです。第一は、彼女の名前です。キリストのいヴは蛇の誘惑に負け、神の命令に逆らって善悪を知る木の果実をアダムとともに食べてしまいました。その結果、彼女達はエデンの園を追放され、原罪を受けました。それは一切の罪の始まりです。文章のいヴにもその原罪の意味があるとおもいます。それから、キリストのいヴは現在の全ての人類の祖先ですが、文章のいヴは産児(さんじ)制限(せいげん)主義者です。これも矛盾です。第二点は、彼女のとても冷たい性格とお金に夢中になることです。「服は早く返してね。私の肉体は高価なのよ」ということばは、数回に現れました。彼女は自分がミスニッポンだとおもって、非常に高貴で、アルゴン君をばかにしていました。しかし彼女はアルゴン君の魔法を見た後で、自分の考えが変わりました。いヴになることを決めました。なのに、彼女の目的は新世界を創造することではなく、お金持ちになりたいです。最後に、 半分チョークを手に入れた後、彼女はアルゴン君の新世界を破壊して、自分も消えました。

 「魔法のチョーク」の作者は「アルゴン君」と「いヴ」などの人物像を書いて、現実の生活における人情の冷たさと欲望の膨張を表しています。ほかには、資本主義社会の中で人の無助、困窮と悲観的な絶望です。人々は積極的に運命と戦うことを望みます。「神筆馬良」には悲惨な現実を反映して、作者が未来に対する美しい理想を表現します。それから、人々は夢を堅持し、勇敢で悪人に向き合い、美しい生活を求める道理を子供に教えています。



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