菅の堤の櫻
菅之堤的樱花
大町桂月
翻译:王志镐
花に忙しき春哉。裸男ひとりにて、新宿追分より京王電車に乘りて、調布に下る。
南を指して行く。多摩右岸一帶の丘陵低く横はる。大山を左翼として、丹澤の連山その上に遙か也。十數町にして、多摩川に達す。前岸に櫻花の連なるを見る。これ近年櫻の名所となりたる菅の堤也。矢野口の渡に至れば、渡船あるかと思ひの外、土橋かゝりて、一錢五厘の橋錢を取る。上流の青梅の萬年橋より、下流の六郷橋までの間、多摩川に往來を通ずるは、すべてみな渡船なるに、こゝのみに橋ありて單調を破る。いづれ毎年少なくとも一度は流さるべけれと、船と船頭とに要する金を差引けば、さまで損にもならざるべし。而して行人に取りては、船より橋が、ずつと便利なり。氣が利きたるかなと感服す。
春哉忙于花。 裸男一枚,从新宿追分乘京王电车,下调布。
向南走。 多摩川右岸一带的丘陵低悬。 以大山为左翼,丹泽连山之上遥遥无际也。 经过十几个町,到达多摩川。 所见前岸边成片樱花,此乃近年成为樱之胜地菅之堤也。 到了矢野口渡口,意想不到除了渡船,还有土桥之费用,付了一钱五厘的桥钱。 从上游青梅万年桥,到下游六乡桥之间,往来多摩川,皆是渡船,皆有此桥,打破单调之感。 如果扣除船只和船夫每年至少应该漂流一次的所要的钱,那么应该也不至于吃亏。 而对行人来说,桥比船要方便得多。 实在佩服其机灵。
堤に上りて、下流さして行く。櫻は一列にして、二三十町もつゞく。樹はまだ小なれども、河原ひろくして氣持よく、武藏野につゞく木立果てもなく、多摩川べりの丘陵近く臥し、秩父の連山遠く立つ。このあたり多摩川の幅は六七町もあらむ。水はほんの一部分なるが、直ちに堤に接して流るゝが、この菅の堤に一層の風致を添へたり。
登上堤坝,往下流走去。 樱树排成一列,延续二三十町。 树虽小,可是河滩宽广,心情舒畅,延续到武藏野的树林无边无际,横卧在多摩川岸边的丘陵附近,秩父连山耸立在远处。 这一带多摩川的宽度有六七町。 虽然水只占一小部分,但能直接与堤相接而流过,给这座菅之堤增添了更多的风致。
櫻盡くる處より引返し、一の掛茶屋に腰をおろす。酢章魚と鮨とを注文して、腰の瓢箪を取り出す折しも、酒樽到著す。到る處、『正宗』の瓶詰に閉口して、わざ/\瓢箪をもちゆけど、樽酒の新たに來れるを見ては、樽に對してもと、下らぬ處に義理張つて、試に飮んで見たるに、田舍酒は田舍酒なるも、なまじひの『正宗』のペーパーを附けたるものなどよりは、ずつと口に適して、飮むに足る。一本飮みて、微醉を催す。今一本飮まば、ちと多し。一合だけ注文す。合せて三合、これにて程よく醉ひ、瓢箪は滿ちたるまゝにして、去つて穴澤天神に詣で、祠後の山を攀ぢて絶頂に至る。四阿あり、ベンチありて、一寸公園風になり居れり。二株の老松、殊に偉觀也。その松に瘤多きこと、他に其の比稀れ也。近く多摩川を見下し、ひろく武藏野を見渡す。後ろを見れば、丘陵又丘陵。狹き山田ありて、蛙の聲をり/\聞ゆ。東京附近にては、ともかくも山也。菅の堤の櫻を見たるついでに、必ず訪はざるべからざる處也。
从樱树尽处折回,坐在一家茶馆里。 点了醋章鱼和寿司,从腰间取出葫芦的时候,酒樽也到了。 所到之处,闭口“正宗”的装瓶,特意拿着葫芦,但看到桶酒新来,无论是桶酒,还是义无反顾,随大流去看,田舍酒还是田舍酒,都是不折不扣的“正宗”之笔 来一瓶,催微醉。 现在飮马,知乎多。 只点一份。 合起来三合,就这样恰如其分地满满的葫芦,离开后到穴泽天神参拜,攀登祠堂后的山,直到绝顶。 有四阿,有长椅,一寸公园风。 两株老松,特别是伟誊也。 那松树多瘤,其他的比稀也。 俯视附近的多摩川,纵览武藏野。 往后看,是丘陵或丘陵。 有狭窄的山田,发出青蛙的声音。 在东京附近,总之山也。 看到菅之堤的樱时,一定是应该拜访的地方。
調布の停車場まで戻りたるが、日猶ほ高し。府中に至りて、大國魂神社に詣づ。こゝは武藏の國府のありたる處也。闇の祭は名にのみ聞えて、昔の樣は無くなれりと聞く。もと六所明神とて、武藏の總社なるが、今も官幣小社にて、祠殿宏壯、境内森嚴也。殊に甲州街道を横絶したる賽路長くして、大なる欅の竝木立ちつゞく。欅の多きは、武藏の特色なるが、その竝木、近くは雜司ヶ谷鬼子母神にあり、遠くは此處にありて、鬼子母神のよりも一層偉大也。その新緑の觀、殊に美也。杉の竝木は、いま日光の例幣使街道に天下一品の觀あり。欅の竝木は、恐らくは此處が天下第一なるべくや。
(大正五年)
虽然回到调布的停车场,但日头还很高。 到了府中,参拜了大国魂神社。 此乃武藏国府所在之处也。 黑暗之祭只闻其名,传说中从前的模样已不复存在。 原是六所明神,是武藏的总社,现在也在官币小社,祠殿宏壮,境内森严也。 特别是横跨甲州街道的赛路变长,巨大的榉树的林荫道延续。 榉树大多是武藏的特色,其林荫道,附近在杂司谷鬼子母神,远在此处,比鬼子母神更伟大。 那新绿的感觉,特别是美也。 杉树的林荫道,现在在日光的例币使街道上有天下第一的景观。 榉树的林荫道,恐怕这里应该是天下第一。
(大正五年)
春の郊外
大町桂月
桃花の散らぬ程にと、越ヶ谷さして、兩國橋より、東武線の鐵道に乘る。この線は、本所を過ぎ、龜戸より左折して、鐘ヶ淵、北千住、草加、越ヶ谷、粕壁、久喜、鷲の宮、羽生を經て、利根川に接する川俣にとゞまる。やがて川をわたり、館林を經て、足利に達する筈也。向島の櫻雲を、ちらと汽車の窓より、緑樹のひま/\に眺め、北千住を過ぎては、東北郊に特有なる菜の花を眺む。とぼし油の需要減ぜると共に、菜花の美觀も減じゆくは、惜むべし。『有明けのとぼす油は菜種ゆゑ蝶がこがれて逢ひに來る』、『むかし思へば深い中、死ぬる覺悟で來たわいな』など云へる、可憐なる有明節も、今は東京にすたるやう也。越ヶ谷にて下る。
在桃花尚未散落的时候,穿过越谷,从两国桥乘坐东武线的铁道火车。 这条线经过本所,在龟户左转,经过钟渊、北千住、草加、越谷、粕壁、久喜、鹫之宫、羽生,停留在与利根川相接的川俣。 不久,应该穿越河流,经过馆林,到达足利。 向岛上的樱云方向,依着火车的窗户,远望一闪而过的绿树,过了北千住,远处可见东北郊特有的油菜花。 随着对灯心油的需求减少,菜花的美观价值也在减少,这太可惜了。“黎明点燃的油,会随着菜籽雪蝶的思念降临相逢”、“很久以前,在深深的深处,因死亡的感悟而降临”等所说的,可爱的黎明节,现在在东京仿佛也被废除了。 在越谷下车。
越ヶ谷の桃とて、人の見にゆくは、越ヶ谷在の大林の桃林也。その手前の大房にも、桃林あり、古梅園とて梅園もあり。越ヶ谷の本宿の東方にも、元荒川の左岸に桃林あり。こなたに麥畑あり。川を中にして、緑紅相映ず。
停車場を出でて、十數町、奧州街道を北行し、一寸、左折すれば、大林の桃林に出でたり。小高き處に、小祠あり、數株の松あり、茶店あり。桃林は、之をかこみて、二三町四方にひろがる。人よりも低き木にして、案外に大なる花を帶ぶ。見渡す限り紅天地と言ひたけれど、實は、それほどの事は無し。小桃林の長くつゞくことは、中山、市川にゆづり、見渡しの晴れやかなるは、こゝが勝る。元荒川は近けれども、桃林それまでは及ばず。遊客は、ほんのぽつ/\あるのみ也。花下に席をしきて、團欒して酒飮むは、近邊の農夫にや。濁聲あげてうたひはやす。中に、一人起ちて跳れば、手や、袖や、桃の枝にふれて、紅雪はら/\と散る。
作为越谷的桃,要去看人的,是越谷在的大林的桃林也。 前面的大房也有桃林,古梅园也有梅园。 在越谷的主宿的东方,原荒川的左岸也有桃林。 你有麦田。 以河为中心,绿红相映。
从停车场出来,向北走十几町、奥州街道,向左拐一寸,就会来到大林的桃林。 小高处有小祠,有几株松,有茶店。 桃林环绕之,扩展到二三町四方。 使之比别人矮,意外地带上大花。 虽然放眼望去都说是红天地,但实际上并没有那么多事。 小桃林长,与中山、市川相映成趣,放眼望去晴朗,此处胜。 虽然离荒川很近,但是不必到桃林那里。 游客只有一点点/\有的只是也。 坐在花下,团聚在一起喝酒,献给附近的农夫。 放声歌唱。 里面,一个人站起来跳,就会碰到手、袖子、桃枝,红雪纷纷飘落。
露臺に腰かけて、休息す。平生ならば、一杯といふ處なれど、鮨を食ひ、茶をのみてすます。樂みまた其間に在り。十數年來の胃病、この春に至りて、殊に甚し。酒を一寸口にすれば、嘔吐を催して苦しく、煙草を口にするも、亦嘔吐を催す。たゞ、歩きて體をうごかせば、體も精神も、少しは苦痛を免るゝ心地す。『たゞ見れば何の苦もなき水鳥の足にひまなき我が思ひ哉』と咏じけむ、余の遊行するは、病人の病院に入る也。もとより酒の味は、口に解せず、たゞ、からだのみ解する身也。されど毎日晩酌をかゝざるに慣れて、一二合ぐつと飮み干して、體に微醉を求むるとは、われながら、未練なる男哉。酒に憂へを忘るゝは、小さき料簡也。一切酒を口にせずとは、これも小さき料簡也。飮みて酒の趣を得てもよけれど、進みては、飮まずして酒の趣を得るに至るべし。斗酒も辭せざるは男子の意氣地なるが、飮まざれば酒の趣を得ずとは、まだ悟れぬ人の事なりと、自から悟つたつもりなるも、酒に嘔吐を催すやうになりたるおかげと、思ひ切つては廣言も出來ず。茶店の棚にならべる正宗の瓶をながめて、腹の蟲がまだ納まり兼ぬるやう也。
歩をかへし、李花の間を過ぎ、菜畑を過ぎ、麥畑を過ぎて、元荒川と街道とを隔つる堤上に立つ。大房の桃林の一部遙に見ゆ。ながめ廣やか也。桃の紅、李の白、菜花の黄、麥の緑、之に、一帶の雲が日に映じて紫となれるを合はせて、滿目、五色の天地と、ふと一ぷく吹かしたくなりたるも、おぞや、まだ悟れぬ凡夫の身也。
坐在露台上休息。 平时,虽然只是一杯,但吃着寿司,喝着茶就完事了。 乐又在其中。 十多年来的胃病,到了今年春天,尤其如此。 一小口酒,就会恶心、难受,一大口烟,也会呕吐。 但是,如果走着活动身体的话,无论是身体还是精神,都会感觉免除了一点痛苦。 吟诵着“看上去毫无痛苦的水鸟的脚上无暇的我思哉”,多余的游行者也将进入病人的医院。 本来酒的味道,就是无法理解,只理解身体的身也。 但是习惯了每天晚上不斟酒,咕嘟咕嘟地干了一二杯,想着身体要喝点微醺,一边说是留恋的男哉。 对酒念念不忘的啊,小料简也。 根本不喝酒,这也是小料简也。 100来一杯酒倒也可以,但是要前进,就应该不做,而去一杯酒。 斗酒也是男人的志气,但是不飨宴就得不到酒的情趣,是还没领悟到的人的事,即使是自己想领悟到的事,也怪他开始呕吐,所以一时不敢广言。 望着摆在茶店架子上的正宗瓶子,肚子里的虫子还不能服气的样子也。
步履蹒跚,过李花间,过菜地,过麦田,站在分隔原荒川和街道的堤上。 大房桃林的一部分遥见。 望广也。 桃红、李白、菜花黄、麦绿、之,配上一带云彩映在阳光中变成紫色的云彩,令人突然想吹动一番,但慢慢地,还是恍然大悟的凡夫身也。
坐在露台上休息。 平时,虽然只是一杯,但吃着寿司,喝着茶就完事了。 乐又在其中。 十多年来的胃病,到了今年春天,尤其如此。 一小口酒,就会恶心、难受,一大口烟,也会呕吐。 但是,如果走着活动身体的话,无论是身体还是精神,都会感觉免除了一点痛苦。 吟诵着“看上去毫无痛苦的水鸟的脚上无暇的我思哉”,多余的游行者也将进入病人的医院。 本来酒的味道,就是无法理解,只理解身体的身也。 但是习惯了每天晚上不斟酒,咕嘟咕嘟地干了一二杯,想着身体要喝点微醺,一边说是留恋的男哉。 对酒念念不忘的啊,小料简也。 根本不喝酒,这也是小料简也。 100来一杯酒倒也可以,但是要前进,就应该不做,而去一杯酒。 斗酒也是男人的志气,但是不飨宴就得不到酒的情趣,是还没领悟到的人的事,即使是自己想领悟到的事,也怪他开始呕吐,所以一时不敢广言。 望着摆在茶店架子上的正宗瓶子,肚子里的虫子还不能服气的样子也。
步履蹒跚,过李花间,过菜地,过麦田,站在分隔原荒川和街道的堤上。 大房桃林的一部分遥见。 望广也。 桃红、李白、菜花黄、麦绿、之,配上一带云彩映在阳光中变成紫色的云彩,令人突然想吹动一番,但慢慢地,还是恍然大悟的凡夫身也。
越ヶ谷の停車場より馬車にのりて、野田に赴かむとするに、馬車今來しばかりにて、まだ時間がありさう也。久伊豆神社を訪ひて、路にて待ちあはさむとて、急ぐ路なれば、人力車を走らす。十餘町の程也。元荒川の左岸に、森林を爲す。鳥居より社前まで可成り長し。祠畔、小池にのぞみて、藤の老木あり。車夫に向ひて、粕壁にも、藤があるさうながと云へば、房の長さは、どちらも五六尺に及ぶ、されど、こなたには、池あるが勝れりといふ。これから、野田へ桃見に行かむとするなりと云へば、桃は越ヶ谷が第一也、野田はつまりませぬと打ち消す。我が住む里の自慢は、自然の人情なるべし。車夫の言ふに任せて、野田街道の橋畔の菓子賣る家に休息して、馬車の來たるを待ち合はす。人家に近き處なれど、一羽の鷺、悠然として淺瀬に立てるは、珍らしやと、茶をのみつゝ、見入る程もなく、がた/\と音して、馬車來たる。乘らむと待ちかまふれば、一人なら乘れるが、二人なら乘れぬといふ。やれ/\、仕方なし。二里半の程なり、歩いて行かむと、冷金子をうながしたてて、歩を進め、松伏、金杉を經て、利根川をわたれば、日暮れたり。路の兩方には、桃林あれど、明らかならず。野田の町に入りてやどる。
从越谷的停车场坐上马车,要前往野田,但是马车现在才来,还有时间呢。 去久伊豆神社,在路上等着,如果是急行的话,就开人力车。 十町的程也。 在原荒川的左岸,形成森林。 比鸟居更长到社前。 从祠堂畔、小池中看,有藤老树。 面对车夫,粕壁上有藤,再怎么说呢,房长都长达五六尺,但是,据说你有池塘,但胜在一筹。 接下来,如果要去野田看桃的话,桃就会被云抵消,越谷是第一也,野田就是无聊。 我所居住的村落的自豪,应该是自然的人情。 听车夫的话,在野田街道桥畔的点心专卖店休息,等待马车的到来。 虽然离人家很近,但一只鹭悠然立在浅滩上,喝着稀饭、茶,没来得及看,沙沙作响,马车就来了。 如果乘虚而入,一个人可以乘虚而入,但两个人则不能乘虚而入。 干/\,没办法。 到了二里半的时候,走过去,抚摸着冷金子,向前走,经过松伏、金杉,过了利根川,时而天黑。 的两边,虽然是桃林,但不清楚。 进入野田町。
江戸川の左岸、二三里をへだてて、流山は味醂酒にあらはれ、野田は醤油にあらはる。口には、味醂酒と思へど、野田は、八村みな桃なる一大美觀をひかへたる處也。
あかつき、野田の宿を出でむとすれば、春雨蕭々たり。學生の頃、旅行するに着慣れたるもの也、傘よりはとて、菅笠とござとを買ひて、雨を凌ぐ。冷金子は、蝙蝠傘をもてり。
町の北端に、愛宕祠あり。富家の多き町の鎭守とて、凝つた構造也。境内を愛趣園と稱す。噴泉を瀧にたらして、小池あり、藤棚あり、種々の老木あり。野田の町に相應したるだけの公園也。祠後に、勝軍地藏あり。近き堤臺には、子育地藏ありて、その名の如く、子育の御利益ありしが、いつしか、徴兵除けといふ不屆千萬なる御利益加はりて、可成り繁昌せし由也。されど、いよいよ日露戰爭はじまりては、徴兵除けでは間に合はず。こゝな地藏尊は、鐵砲除けの御利益ありとの事にて、祈願者多く、いよ/\御利益あらはれ、愚俗が隨喜渇仰の涙したゝりて、幾萬圓の寄附金となり、やがて、改築せられて、裏店ずまひの地藏尊、一躍して大廈高樓に移り替へし給ふべき由は、金額と寄附者の名とを記せる張札の夥しきにても知られたり。されど、知らず、戰爭すみても、なほ繁昌するや、否や。數町ゆきて左折し、桃林の中をゆけば、櫻の竝木の奧に、金乘院あり。仁王尊滿身に紙丸をうけ、左のは、うんと、力みながら、あはや倒れむとす。寺へ入らず、山門につきあたりて、左すれば、集樂園に達す。これ實に關東第一流の公園也。
隔着江户川的左岸,二三里,流山被味醂酒咬,野田被酱油咬。 嘴里有味醂酒,野田将八村大家桃一样的一大美观藏在角落里。
拂晓,如果离开野田的宿舍,就会春雨萧萧。 学生时代,习惯旅行的也,比起伞,更喜欢买菅笠和草鞋,避雨。 金子拿着蝙蝠伞。
镇的北端有爱宕祠。 作为富家多的城市的教练,结构也很讲究。 境内称为爱趣味性园。 引喷泉于泷,有小池、藤棚、各种老树。 与野田町相应的公园也。 祠堂后有胜军地藏。 附近的堤台有育儿地窖,正如其名,有着育儿的好处,但不知何时起,免除征兵这一不可告人的丰厚利润却获得了尽可能兴盛的由也。 但是,日俄战争终于开始了,逃避征兵应该来得及。 这样的地藏尊,由于有铁炮的好处,祈祷者很多/\为了御利/\愚俗随喜渴仰的眼泪,成为了几万圆的捐款,不久,被改建,后店麻痹的地藏尊,一跃搬到大厦高楼 但是,不知道,即使战争了,只要繁荣昌盛,不。 过了几个城镇向左拐,再往桃林里走,在樱花树的深处,有金乘院。 仁尊满身上挂着纸丸,左边的,嗯,用力地差点跌倒。 不进寺,到山门,左转,就到了集乐园。 这就是关东第一流的公园也。
浮世は金也。野田の一醤油製造屋の隱者の發起にて、近年開かれたる處、座生沼に臨める高臺の竹藪變じて、庭園となり、櫻あり、松あり、所謂八村の桃を見渡すといふ圓錐丘も沼畔に聳ゆ。座生沼は、長さ一里、幅は五六町なれども、規則正しき長方形ならずして、出入あれば、眺望は可成りにひろし。四周の岸高くして、『山の湖』の趣を有す。崖を下れば、遊覽の舟あり、以て沼に浮ぶべし。鳰くゝと鋭く鳴きて、諸處に浮きては沈む、俗にむぐツてうといふ鳥也。この鳥、都に近き處にては、井の頭池、三寶寺池などにも棲めり。園は、ひろからねど、瀟洒也。休憩宿泊に供する亭もあり。『山の湖』の趣ある沼と、眺望の佳とを、こゝの特色とす。余は、水戸の常磐公園よりも、むしろこの園の自然の趣あるを取らむとす。
浮世是金也。 在野田一酱油制造店的隧道者的启发下,近年来举办的厨房、面临座生沼的高台竹薮变、庭园、有樱、有松,俯瞰所谓八村桃子的圆锥丘也耸立在沼畔。 座生沼虽然长一里,宽五六町,但不是规则的长方形,只要有出入,眺望就会尽可能宽广。 提高四周的岸高,有“山湖”的情趣。 走下悬崖,有游览之舟,可以浮在沼泽里。 鸟也啾啾啾地叫着,漂浮在各处下沉,俗称咕嘟咕嘟地叫。 在离都城很近的地方,也栖息在井之头池、三宝寺池等地。 园子很宽敞,潇也。 也有供休息住宿的亭。 以有《山湖》情趣的沼泽和眺望的佳为这里的特色。 与其去水户常磐公园,不如去领略这个公园的自然情趣。
沼ばかり殘して八村桃の花
桃の八村とは、清水、堤臺、中野臺、吉春、谷津、五木、岩名、築比地、是れ也。築比地は、少し離れて利根川の右岸に在り。他の七村は、沼をめぐる崖下に在り。渡舟を招きて、岩名村にわたる。中流微雨の中に顧望す、幽にして靜なる哉。八村の中、岩名は土地高燥、江戸川と座生沼とに挾まれて、茅屋ぽつ/\あるのみにて、幾んど行人なき塵外の別天地、伸ばさば一方里もあるべき處、見る限り、行く限り、すべて桃花に埋めらる。實に天下の壯觀也。越ヶ谷や、中山や、市川や、こゝを見れば何でも無し。斷言す、野田の桃を見ずんば、未だ桃花の觀を談ずべからざる也。
只剩下沼泽,八村桃花
桃之八村是指清水、堤台、中野台、吉春、谷津、五木、岩名、筑比地、是也。 筑比地位于利根川右岸一带。 其他七村位于围绕沼泽的崖下。 邀请渡船跨越岩名村。 顾望于中流微雨之中,幽静之哉。 八村中,岩名夹在土地高燥、江户川和座生沼之间,只隔着茅草屋/\只有一片,几乎没有行人尘外的另一片天地、延伸的另一片土地,只要一看,一切都会被桃花埋没。 实为天下壮观也。 如果看到越谷、中山、市川、这里的话什么都没有。 断言,没看到野田的桃,也还不能谈论桃花的观。
堤上に出づれば、江戸川、溶々として流る。對岸一面の桃花は、八村の中の築比地也。白帆、その間を往來して、一種の趣を添ふ。堤つきて、人家の間に入り、新宿しんしゆくの渡をわたる。東京の新宿は、しんじゆくと濁れど、こゝは、しんしゆくと澄みて訓む。西金野井村に至る。森をひかへ、川に接して、香取祠あり。土人、かんどりと訓む。入口の前に、大なる欅あり。まはり、六抱へに餘りて、且つ高く、堂々たる者也。神額は蒼海伯の書、石碑に本居豐頴氏が神司の功勞をのべたる文をきざめり。
到了堤上,江户川缓缓流动。 对岸一片桃花,是八村中的筑比地也。 白帆,穿梭于其间,增添一种情趣。 筑堤,进入人家之间,跨越新宿•新城的渡江。 东京的新宿,潮湿而浑浊,这里,沉静而清澈地训练。 到达西金野井村。 森林暗流,与河相接,有香取祠。 土人,狠狠地教训。 入口前有一棵大槐树。 花丸、六抱、又高又堂堂的人也。 神额是苍海伯的书法,石碑上铺满了本居丰颕讲述神司功勋的文章。
川俣東京間を往復する汽船、こゝにも立寄る。乘りて、江戸川を下る。微雨に、所謂午後の風さへ加はれるに、沼をながめることも出來ず、込みあへる乘客の中に、ちよこなんと坐る。煙草ものめぬ身也。地圖をひろげ、厭きては、人の話しあふに、耳かたむけて慰む。野田を過ぎ、新堀割の口にて、船暫らくとゞまる。江戸川は、關宿より利根の本流とわかれ、寳珠花、野田、流山、市川、行徳を經て、海に入る、小利根とも稱す。銚子へゆくに、關宿まで行けば、非常な迂路なれど、こゝより野木崎までに、新掘割出來て、十七八里の水路が、僅々二里かそこらにてすむやうになれり。流山を經て、松戸に上陸す。江戸川の左岸に接して、奧州濱街道に當れる處也。一宿す。
也顺便去一下往返于川俣东京之间的轮船。 乘,顺江户川而下。 在微雨中,不能忍受所谓下午的风,不能眺望沼泽,只能悠然自得的乘客中,悠然自得地坐着。 不吸烟的身也。 展开地图,厌倦,充满别人的谈话,侧耳倾听,安慰。 过了野田,在新堀割的口,船暂时停下。 江户川比关宿更称为利根之本流,经寳珠花、野田、流山、市川、行德,入海,也称为小利根。 去铫子,到关宿的话,虽然是非常迂回的道路,但是从这里到野木崎,新挖掘出来的十七八里的水路,只需要两里就可以了。 经过流山,在松户登陆。 位于奥州滨街道上,与江户川的左岸相接。 住一宿。
あくれば、またも雨也。花や散らむとて、成田へと思ふ心をひるがへして、松戸より北千住まで、汽車に由りて、やがて、熊ヶ谷土手に出づ。隅田川の左岸、枕橋より鐘ヶ淵まで、凡そ一里の路、堤の兩側、みな櫻、これ向島也。綾瀬川を入れてより上は、荒川にて、川の名は變れど、堤もつゞき、櫻もつゞけり。この堤は、大宮と川越との間まで續く。熊ヶ谷土手とも云へば、荒川土手とも云ふ。千住あたりは、三軒茶屋堤の稱もあり。櫻は、土手全體にはつゞかず。川口の手前の東京府が盡くる處までつゞく。向島をあはすれば、四五里もあるべく、啻に東京第一の櫻の長堤たるのみならず、天下にも幾んど、その比なかるべし。
见鬼,又是雨也。 花谢了,回心转意地想着成田,从松户到北千住,坐火车,不久,来到熊谷堤坝。 隅田川的左岸,从枕桥到钟渊,大约一里路,堤的两侧,都是樱,这是向岛也。 算上绫川,更上一层是荒川,河流名变,但有堤,也有樱。 这条堤延伸到大宫和川越之间。 熊谷堤上云,荒川堤下云。 每千住一带,也有三家茶馆堤的称呼。 樱不在整个堤坝上。 走到川口跟前的东京府竭尽所能的地方。 如果离开向岛,应该有四五里,啻不仅是东京第一的樱长堤,在天下也几乎无与伦比。
さらでだに、遊客は、向島に遊ぶも、木母寺にとゞまりて、こゝまで及ぶ者は多からざるに、雨ふりたれば、遊客は一人も無し。花片むなしく散りて、地に委し、里のわらべの傘にかさなり、車ひきゆく農夫の蓑に點す。
前を見るも花の白雲、後ろを顧みるも花の白雲、ゆけど/\、花のトンネル、果ても無し。處々にある葦簾張りの茶店もとぢたり。物賣る家はあれど、料理屋めきたる處は無し。『酒なくて何の己れが櫻かな』の連中は、あきたらず思ふ處なるべし。向島の土手は、まだ川に近し。こゝは、向島よりも、遠く川を離れたるも、一の缺點也。
而且,游客即使去向岛玩,也只停留在木母寺,达到此地步的人不多,但如果下雨,就没有一个游客了。 花落空空,委于大地,坐在背面稻草的伞上,点着拉车的农夫蓑。
看前方也是花的白云,看后方也是花的白云,但是/\,花的隧道,无边无际。 位于各处的苇帘茶店旁边。 虽然有卖东西的房子,但是没有饭馆值得一看的地方。 “没有酒,自己算什么樱呢?”的人们,应该不甘心做处。 向岛的堤坝还在河边。 」いちじはん点也,比向岛更远离河流。
雨に微寒を覺ゆる日也。一重櫻は、盛りを過ぎたり。八重櫻は、少し早し。こゝな名物の欝金櫻は、未だ開かず。榜して右近櫻と書けるは、誤り也。一里半ばかりぶら/\あるきて、豐島の渡に來たる。なほ、櫻は一里もつゞけど、さまではとて、渡をわたりて、泥濘の中を衝いて飛鳥山にのぼれば、前日來りし時に、遊客の浮かれし處、忽ち雨に蕭條たり。枝上の花、既に少なくして、滿地に白雪を布く。花も一時と、悟り顏して、去つて、板橋より新宿まで、汽車に由る。家は近けれど、濡れついでに、小金井まで、濡れにゆかむ。むかし、禹が、家門を過ぐれども入らざりしは、國事の爲め也。風流の爲に、家門を過ぐれども入らざるに至りては、風流も魔道に陷れる乎。されど、知らず、花神は如何に思ふや、否や。
在雨中感受微寒的日也。 单樱有时过盛期。 八重樱,快一点。 如此有名的郁金樱还没有开放。 标榜能写成右近樱的,也是错误的。 后半场左右闲逛/\活下来,来到丰岛渡口。 虽然樱有一里,但样子却很像,跨越渡江,穿过泥泞中爬上飞鸟山,前一天来到时,游客的狂欢处,不一会儿就遇上萧条。 树枝上的花,已经很少了,满地都是白雪。 花也一时醒悟过来,离开了,从板桥到新宿,要坐火车。 虽然离家很近,但顺便到小金井,会因为淋湿而发痒。 很久很久以前,禹通过家门却不进入,是为了国事也。 为了风流,虽然过了家门,但没有进入,风流也完全被魔道淹没了。 但是,不知道,花神怎么想,不,不。
この日より、小金井花見の割引切符を賣る由、張出してありければ、買はむとするに、雨の爲に、延ばしたりといふ。小金井に遊ばむには、甲州線に由りて、境に下り、小金井に出で、玉川上水を溯り、歸りには、國分寺より汽車に乘るが普通なるが、之をあべこべにしてもよし。國分寺にて下る。
國分寺より小金井の櫻までは、半里の程也。幾度も通りたる路なれど、ふと曲り路を、曲りそこなひて、何だかへんだと、小首かたむけて立てば、一老人ひよこ/\來たる。これは、小川村へゆく路也。小金井の路は、ずつと、あとにあり。されど、この邊の小路へ曲るも、花の處へは出づべしといふ。その言に從ひてゆけば、間もなく、玉川上水に出でたり。
据说从这一天开始,因为要出售小金井赏花的打折票,如果出差的话,不管是买还是下雨,都会延期。 要去小金井玩,一般先经由甲州线,下到边界,然后到小金井,再追溯到玉川上水,到了路上,会比国分寺乘火车,不过也可以颠倒过来。 来到国分寺。
从国分寺到小金井的樱,半里的程也。 虽然是好几经的路,但突然在拐弯处拐弯,不知为什么,向着小脖子一站,就来了一只老人小鸡。 这是去小川村的路也。 小金井的路一点一点地在后面。 但是,据说即使走到这条小路,也不能走到花的地方。 遵从那句话,不久就来到玉川上水。
小金井の花の區域は、凡そ二里にわたる。向島よりは長く、熊ヶ谷土手よりは短けれど、一道の清流をはさんで、櫻は、山櫻の巨木也。上水の幅は狹けれど、碧水の上に、花のトンネルをつくるが、こゝの特色也。山櫻の美は府下この處にのみ見るべし。小金井の花を見ざるものは、未だ櫻を談ずべからず。斷じてこれ、東京第一の櫻の名所也。橋いくつもあり。小金井橋のある處が、中心也。そこに、料理屋らしきものあり。晴れし日には、木の隙間より、武藏野をへだてて、富士山も見ゆ。三四分の開花にて、殊に雨ふりたれば、遊人なし。路は惡るし、風寒し。一杯と腹の蟲が動き出したれど、嘔吐を催すには、かへられず。唯※(二の字点、1-2-22)何となく寂し。冷金子が、一ぷく、いかにと出す朝日を口にすれば、早やげつと吐出さむとするも、苦しや。この苦しみは、徒歩によりて慰めらる。多謝す、自然の美は、我を促して、徒歩せしむる也。
小金井的花的区域大约有两里。 虽然比向岛长,比熊谷堤坝短,但夹着一道清流,樱是山樱的巨木也。 上水的宽度虽然很窄,但是在碧水上面建造了花隧道,这里的特色也是。 山樱之美只应该在府下这个地方看到。 看不到小金井之花的,还不能谈樱。 千万别这样,这是东京第一的樱之胜地也。 有好几座桥。 小金井桥的所在地是中心也。 那里有像饭馆的东西。 在晴天,通过树的缝隙,隔着武藏野,还可以看到富士山。 三分之四的开花,特别是下雨,就没有游人。 道路崎岖,风寒。 虽然肚子里的虫子动了一杯,但是要想呕吐,就不要着急。 唯※(二字点,1-2-22 )总觉得有点寂寞。 如果金子说出一口气、怎么发出的朝阳,即使迅速吐出,也会感到痛苦和痛苦。 这个痛苦可以通过徒步来安慰。 多谢,自然之美,也能催促我,让我徒步。
日も暮れかゝれり。雨に一里半も櫻の下を歩きつくして、境より汽車に身を投ず。三日の間、初めの一日は、越ヶ谷の桃、次の日は野田の桃、三日目は、東京の櫻の二大長堤なる熊ヶ谷土手と小金井との櫻を見て、財布の空になると共に、一先づ家に歸りぬ。
(明治三十九年)
黄昏时分。 在雨中在樱花树下走了一里半,比起边境更投身于火车。 三天中,第一天看到越谷的桃,第二天看到野田的桃,第三天看到东京樱的两大长堤熊谷堤和小金井的樱,钱包空空如也,先到家去。
(明治三十九年)