修剪草坪(下)

寺田寅彦

修剪草坪 (下)

翻译   王志镐

  过了几天,我突然想起附近镇上铁匠铺里挂着的除草剪子。与往年不同的是我今年有闲暇工夫,于是我想在病尚未愈的情况下活动活动身体,让读书后过度疲劳的脑子休息一下,找一些力所能及的事情做做。我想如果在草坪上坐着不动,单单活动两只手腕的话,对我腹部的病似乎不会有什么影响吧。可是话虽如此,如果无例外地只使用手腕和手对腹部很好的话,凭全部经验就可以知道这样简单的想法是错了。比如说一边敲打字机,一边弹钢琴这样的反常动作会严重影响胃,如此之类的事情屡见不鲜。特别是在一边绞尽脑汁构思文句,一边急切地寻找打字机键盘的时候,在以弹奏生疏而复杂的乐曲为目标而努力时,我的病就变得过敏起来,我的胃就马上以某种形式提出不平。然而这与其说是使用手和手指,不如说是为了使用脑,若是像剪草坪那样机械的、能让人袒怀的动作,我想也许那样的事情是没有的吧。每天至少半个钟头一个钟头,一点也不要快,也不要费力,轻快地做,也许不会有障碍。我一边这样想着,一边试着活动两腕,模仿着使用剪子。不过因无实际经验,当我一边让头脑有中割草作业的强烈印象,一边试着活动手腕时,似乎腹部并无用力那样的感觉。为了慎重起见,这次打算面对着打字机活动两手的手指,却不知什么时候感到横膈膜下在渐渐发硬。

 そのうちに私はふと近くの町の鍛冶屋(かじや)の店につるしてあった芝刈り鋏(ばさみ)を思い出した。例年とちがってことしは暇である。そして病気にさわらぬ程度にからだを使って、過度な読書に疲れた脳に休息を与えたいと思っていたところであったので、ちょうど適当な仕事が見つかったと思った。芝の上にすわり込んで静かに両腕を動かすだけならば私の腹部の病気にはなんのさしつかえもなさそうに思われた。もっとも一概に腕や手を使うだけなら腹にはこたえないという簡単な考えが間違いだという事はすでに経験して知っていた。たとえばタイプライターをたたいたり、ピアノをひいたりするような動作でもどうかするとひどく胃にこたえる事がしばしばあった。ことに文句に絶えず頭を使いながらせき込んで印字機の鍵盤(けんばん)をあさる時、ひき慣れないむつかしい楽曲をものにしようとして努力する時、そういう時には病的に過敏になった私の胃はすぐになんらかの形式で不平を申し出した。しかしこれは手や指を使うというよりもむしろ頭を使うためらしく思われた、芝を刈るというような、機械的な、虚心でできる動作ならばおそらくそんな事はあるまいと思われた。少なくも一日に半時間か一時間ずつ少しも急いだり努力したりしないで、気楽にやっていればさしつかえはあるまい。こんな事を考えながら私は試みに両腕を動かして鋏(はさみ)を使うまねをしてみた。まだ実際には経験しない芝刈りの作業を強く頭に印象させながら腕を動かしてみたが、腹に力を入れるような感覚は少しも生じて来ないらしかった。念のために今度は印字機に向かったつもりになって両手の指を動かしているといつのまにか横隔膜の下のほうが次第に堅く凝って来るのを感じた。

  依靠这样的假象的试验,不管怎样总算有了目标,虽然我自己很暧昧,可是不管如何,从针对一件实物做的试验来看,如果还有障碍的话,我想还是马上放弃为好。

 このような仮想的の試験があてになるかどうかは自分にも曖昧(あいまい)であったが、ともかくも一つ実物について試験をしてみて、もしさわりがありそうであったら、すぐにやめればよいと思った。

  在某个无风而闷热的傍晚,我带着最小的女儿出去买剪子。树木众多而缺少灯火的镇上,这个异常的黄昏显得阴沉沉的。难得父女俩一起出去办事,孩子不知为什么心情没有改变,奇怪地沉默着,我也沉默着。走到某家门前,她出乎意外地开口问道:“山本先生的......雪子家是在这儿吧?”看来这里大概是她幼稚园的朋友家吧。“雪子每天早上是由父亲带来的吧?”......“如果父亲与往常不一样的话,是从政府机关出来的。......如果像出门那样的话会一起走到幼稚园呢。”断断续续说着那样的事情。通过前门白色的水一样的光、以及水果店门前排列着的绿、红、黄色水果的色彩,让从黑暗中出来的眼睛感到晃眼。可是邻近的铁匠铺昏暗的电灯——被雾笼罩着,看起来阴沉沉而可怕。店里似乎有数不尽的物品——铁锹呀,镰刀呀,剪子呀,菜刀呀等等,都在隔板上面陈列着。我所要的剪子只有两把,长的和短的,都在门框上挂着。

 風のない蒸し暑いある日の夕方私はいちばん末の女の子をつれて鋏(はさみ)を買いに出かけた。燈火の乏しい樹木の多い狭い町ばかりのこのへんの宵闇(よいやみ)は暗かった。めったに父と二人で出る事のない子供は何かしら改まった心持ちにでもなっているのか、不思議に黙っていた。私も黙っていた。ある家の前まで来ると不意に「山本(やまもと)さんの……セツ子さんのおうちはここよ」と言って教えた。たぶん幼稚園の友だちの家だろうと思われた。「セツ子さんは毎朝おとうさんが連れて来るのよ。」……「おとうさんはいつになったらお役所へ出るの。……出るようになったら幼稚園までいっしょに行きましょうね。」こんな事をぽつりぽつり話した。表通りへ出るとさすがに明るかった。床屋のガラス戸からもれる青白い水のような光や、水菓子屋の店先に並べられた緑や紅や黄の色彩は暗やみから出て来た目にまぶしいほどであった。しかしその隣の鍛冶屋(かじや)の店には薄暗い電燈が一つついているきりで恐ろしく陰気に見えた。店にはすぐに数えつくされるくらいの品物――鍬(くわ)や鎌(かま)、鋏(はさみ)や庖丁(ほうちょう)などが板の間の上に並べてあった。私の求める鋏(はさみ)はただ二つ、長いのと短いのと鴨居(かもい)からつるしてあった。

  正好,在饭桌前吃罢晚饭的铁匠铺主人叼着牙签、摇着团扇、穿着无袖汗衫走了出来,并从门楣上取下了剪子,一边用嘴将积着的灰尘吹落,一边抡起两只胳膊将剪子的状态试给我们看。


 ちょうど夕飯をすまして膳(ぜん)の前で楊枝(ようじ)と団扇(うちわ)とを使っていた鍛冶屋(かじや)の主人は、袖無(そでな)しの襦袢(じゅばん)のままで出て来た。そして鴨居(かもい)から二つ鋏(はさみ)を取りおろして積もった塵(ちり)を口で吹き落としながら両ひじを動かしてぐあいをためして見せた。

  由于短柄的,刀刃长而宽的是割草专用的剪刀,还有一点就是那种可以修剪树枝的剪刀,却不能用来割草。如果草地的面积宽阔,没有前者是赶不上趟的,如果只有一点儿面积,那么后者也可以用。他一边说明如果是业余家庭的人用,这一把反倒较为合适,一边将那里散落的报纸剪给我们看。“因为剪这样的东西有诀窍......”说完这几句话,又有好几张报纸被消灭了,他将刀刃上的碎屑擦去。

 柄の短いわりに刃の長く幅広なのが芝刈り専用ので、もう一つのはおもに木の枝などを切るのだが芝も刈れない事はない。芝生(しばふ)の面積が広ければ前者でなくては追い付かないが、少しばかりならあとのでもいい。素人(しろうと)の家庭用ならかえってこれがいいかもしれないなどと説明しながら、そこらに散らばっている新聞紙を切って見せたりした。「こういう物はやっぱり呼吸ですから……。」そんな事を言った、また幾枚も切り散らして、その切りくずで刃の塵(ちり)をふいたりした。

  如果说到除草的剪子非同一般,轻易下决心的我却有点不知所措。这种原始的器械竟有这样的分化也是我始料不及的。我一面考虑着该买哪一把,一面看着他将两把剪子轮流举起来。终于我自己也明显了解到要割草的话,以使用专用工具为好。不过用它来剪除枯枝的话,刀刃还欠火候,我信了店主的话。

 芝を刈る鋏と言えば一通りしかないものと簡単に思い込んでいた私は少し当惑した。このような原始的な器械にそんな分化があろうとは予期していなかった。どちらにしようかと思ってかわるがわる二つの鋏を取り上げてぐあいを見ながら考えていた。なるほど芝を刈るにはどうしても専用のものがぐあいがいいという事は自分にも明白に了解された。しかしそれで枯れ枝などを切ると刃が欠けるという主人の言葉はほんとうらしかった。

  我装出一副总要检验一下的神情。店主一边用团扇和牙签做试验,一边眺望着大街上。孩子似乎觉得无聊,不时抬头看我的脸。

 私はなんだか試験をされているような気がした。主人は団扇(うちわ)と楊枝(ようじ)とを使いながら往来をながめていた。子供は退屈そうに時々私の顔を見上げていた。

  我终于发现:把柄的长度与自己现在运动的目的相适应这样力学上的理由,因为曾经思考过,便决定买这一把了。

とうとう柄の長いほうが自分の今の運動の目的には適しているというある力学的な理由を見つけた、と思ったのでそのほうを取る事にした。

由于剪子把柄的钉子尚未固定,让我稍许等一会儿,这样我可以在那一带散散步。走了一会儿回来一看,钉子已经固定好了,支点的轴被加了油放在那儿。商店门前过来一对中年夫妇模样的男女客人,正在这一把那一把地物色厚刃长菜刀。…… 至于我为什么要买除草剪子这对夫妇并不知道,而同样地这对夫妇出于什么途径,什么目的要买切菜刀,我也一点不知道。那把菜刀的未来命运,不用说谁都不知道。尽管如此,并排见到那位用梳子卷系着头发、颜色为奇怪的黄色的女子,和拿着这把厚刃长菜刀的面目狰狞的男子时,不知为什么感到有点不安。与此相反,我想我的剪子倒是平和稳重的东西。

鋏を柄に固定する目くぎをまださしてないから少し待ってくれというので、それができるまでそこらを散歩する事にした。しばらく歩いて帰って来て見ると目くぎはもうさされていて、支点の軸に油をさしているところであった。店先へ中年の夫婦らしい男女の客が来て、出刃庖丁(でばぼうちょう)をあれかこれかと物色していた。……私がどういうわけで芝刈り鋏(ばさみ)を買っているかがこの夫婦にわからないと同様に、この夫婦がどういう径路からどういう目的で出刃庖丁(でばぼうちょう)を買っているのか私には少しもわからなかった。その庖丁の未来の運命も無論だれにもわかろうはずはなかった。それでも髪を櫛巻(くしまき)に結った顔色の妙に黄色いその女と、目つきの険しい男とをこの出刃庖丁と並べて見た時はなんだか不安なような感じがした。これに反して私の鋏がなんだか平和な穏やかなもののように思われた。

提着长长的剪子再次进入昏暗屋宇的小镇。到现在为止一直沉默着的孩子马上变得饶舌起来。什么时候开始割草啦,割草时要帮忙啦,今天晚上要不要割草啦,不断地说了这样一些事情。我说自己对割草这样的事十分珍惜,是一件十分有趣的事情,如此之类。

長い鋏をぶら下げて再び暗い屋敷町へはいった。今まで黙っていた子供は急に饒舌(じょうぜつ)になった。いつ芝を刈り始めるのか、刈る時には手伝わしてくれとか、今夜はもう刈らないかとか、そんな事をのべつにしゃべっていた。父が自分で芝を刈るという事がよほど珍しいおもしろい事ででもあるように。

不过对我自己来说,这件事情无论如何也不是一件值得珍惜的新事物。

一回到家,由于对家里的东西多少有点好奇心,尽管漠然却对明天抱有期待,大家轮流对新工具进行检查。

第二天因为是晴天,强烈的阳光照耀着,我想乘还不太热,就拿着剪子向庭院走去。

 しかし私自身にとっても、それはやはり珍しく新しい事には相違なかった。

 宅(うち)へ帰ると家内じゅうのものがいずれも多少の好奇心と、漠然(ばくぜん)としたあすの期待をいだきながらかわるがわるこの新しい道具を点検した。

翌日は晴天で朝から強い日が照りつけた。あまり暑くならないうちにと思って鋏を持って庭へ出た。

从哪里开始割草这个问题马上放在我的面前。虽然这是没什么了不起的事情,对我却是非常棘手的问题。从各种各样不同的角度来看,答案各不相同。我面临着要在尽可能短的时间内花费尽可能少的力气工作,来割完所配给的面积这样的数学问题。修剪中途从客厅看过去的时候,尽可能要有似乎看不见的审美要求包括在内。有从最远端开始,将植物发育放在第一的方案。这样的工作如带来现代风格的见解的话,无论如何要以科学的能率为最佳方案,我想为此要选择能满足前面所说的第一要求的方法为好。在讨论能率的情况下,人们看到了同样的器械,而现在的情况却还存在一点困惑。既然是以自己的健康这样的事情为主,我在这个时候除了要遵从最利己的动机别无他法,结果我从凉快的背阴处开始割草,回到了极其平凡的做法。

どこから刈り始めるかという問題がすぐに起こって来た。それはなんでもない事であったがまた非常にむつかしい問題でもあった。いろいろの違った立場から見た答解はいろいろに違っていた。できるだけ短時間に、できるだけ少しの力学的仕事を費やして、与えられた面積を刈り終わるという数学的の問題もあった。刈りかけた中途で客間から見た時になるべく見にくくないようにという審美的の要求もあった。いちばん延び過ぎた所から始めるという植物の発育を本位に置いた考案もあった。こんな事にまで現代ふうの見方を持って来るとすれば、ともかくも科学的に能率をよくするために前にあげた第一の要求を満たす方法を選んだほうがよさそうに思われた。能率を論ずる場合には人間を器械と同様に見るのであるが、今の場合にはそれでは少し困るのであった。もともと自分の健康という事が主になっている以上、私はこの際最も利己的な動機に従って行くほかはないと思ったので、結局日陰の涼しい所から刈り始めるというきわめて平凡なやり方に帰ってしまった。

于是马上又遇到了第二个问题。比草坪低大约两寸的地面境界线所在地,结缕草长得十分杂乱,叶子之间夹杂着土坷垃什么的,割草时嵌在里面不知该如何是好。在它上面被除下来的叶子盖上了,变得更加麻烦。我想先将这个境界线交界处整理好之后,再着手处理平整的部分是一个比较聪明的方案。可是这个交界的整理工作却极为费事,使我很不愉快,所见之处效果很差,这割草工作真不好干。

 するとまたすぐに第二の問題に逢着(ほうちゃく)した。芝生(しばふ)とそれより二寸ぐらい低い地面との境界線の所は芝のはえ方も乱雑になっているし、葉の間に土くれなどが交じっているために刈りにくくめんどうである。その上に刈り取った葉がかぶさったりするとなおさら厄介(やっかい)であった。それでまずこの境界線のはえぎわを整理した後に平たい面積に掛かるほうが利口らしく思われた。しかしこのはえぎわの整理はきわめてめんどうで不愉快であって、見たところの効果の少ない割りの悪い仕事であった。

おしまいにはそんな事を考えている自分がばからしくなって来たので、いいかげんに、無責任に、だらしなく刈り始めた。

白花花的刀刃向垂直平行密密麻麻生长着的结缕草剪去,针叶的影子晃动着,每次都哗啦哗啦地发出让人心情舒畅的声音,效果不错。叶子从根部剪去,与邻边的草紧靠着,而密密麻麻生长着的还直立着。在这个限度嵌入并向前推进的剪子的律动带领下,草坪滚滚摆动着。举起剪子翻转过来,剪下来的叶子残片啪啦啪啦地向四处飞散开。割完草之后,茶褐色的晒黑的枯叶和根连成了网,雪白的业已萌芽的草茎像栽种的针一样露了出来,强烈的土壤的香味扑鼻而来。

青白い刃が垂直に平行して密生した芝の針葉の影に動くたびにザックザックと気持ちのいい音と手ごたえがした。葉は根もとを切られてもやはり隣どうしもたれ合って密生したままに直立している。その底をくぐって進んで行く鋏(はさみ)の律動につれてムクムクと動いていた。鋏(はさみ)をあげて翻(かえ)すと切られた葉のかたまりはバラバラに砕けて横に飛び散った。刈ったあとには茶褐色(ちゃかっしょく)にやけた朽ち葉と根との網の上に、まっ白にもえた茎が、針を植えたように現われた。そして強い土の香がぷんと鼻にしみるように立ちのぼった。

由于无数叶片极其迅速地相继被切断,所产生的特殊声音使我想起许多事情。对我来说,理发师的剪子将茂密的头发一束一束剪下来的声音,无论什么时候都能使我体会到一种快感,现在自己从理发师的立场出发,还是能体会到有一点稍许不同的感觉。还有在孩童时代看过的杂耍中见过的象,将一束稻草用鼻子卷起来,朝自己的前脚的膝盖扔去之后,手法灵巧地将稻束前端送入口中,稻束的叶稍被咬断,我又回忆起那痛快的声音。不过为什么这类声音会使人愉快,其理由怎么想也想不明白。从声音的性质出发来思考问题,这只不过是杂音的不规则的集合,但没有任何音乐的价值。不过,或许对于听觉来说,理应与音乐对立的触感或者肌肉感,也是一种体验快感的经验吧。或者还是与更加纯粹的心理方面有关的东西呢?我想,或许我们的祖先类人猿时代就有感觉的记忆呢。

無数の葉の一つ一つがきわめて迅速に相次いで切断されるために生ずる特殊な音はいろいろの事を思い出させた。理髪師の鋏(はさみ)が濃密な髪の一束一束を切って行く音にいつも一種の快感を味わっていた私は、今自分で理髪師の立場からまた少しちがった感覚を味わっているような気がした。それから子供の時分に見世物で見た象が、藁(わら)の一束を鼻で巻いて自分の前足のひざへたたきつけた後に、手ぎわよく束の端を口に入れて藁のはかまをかみ切った、あの痛快な音を思い出したりした。しかしなぜこの種類の音が愉快であるかという理由はどう考えてもわからなかった。音の性質から考えればこれは雑音の不規則な集合で、音楽的の価値などは無論無いものである。しかしあるいはこれは聴感に対する音楽に対立させうべき触感あるいは筋肉感に関する楽音のようなものではあるまいか。音自身よりはむしろ音から連想する触感に一種の快を経験するのではあるまいか。それともまたもっと純粋に心理的な理由によるものだろうか。あるいはひょっとしたらわれわれの祖先の類人猿(るいじんえん)時代のある感覚の記憶でないとも言われないと思ったりした。

从剪子行进的前面,有无数小蚱蚂和蟋蟀飞了出来。还有没有和平了?我不知道。无论如何,从人类的眼光来看,似乎在只能看到单色调的昆虫世界,意想不到会有恐怖暴力的恶魔侵入,以特别的眼睛都止不住的速度,将覆盖天空的森林一扫而光。强烈的恐慌袭来,它们朝比自己身长几倍乃至几十倍的高度跳去,马上隐蔽在前面的草丛中。然而剪子再次向那里紧逼过来,事态才似乎平静下来。它们的恐慌只不过是条件反射罢了,或者保持了特别短暂的记忆吧。…… 根据研究鱼类视觉的人说,在海洋中受到威吓的鱼类仅仅逃遁到几尺远的地方,就安心下来,悠闲地游起泳来。,……有人告诉我本次大战期间,在荒芜之地的森林筑巢的乌鸦,离炮击不到数日就回来了,树枝全都被暴风雨般的炮弹炸飞了,它们还是会在光秃秃的树木的洞穴里安然育儿。从根本上说,也许战乱地区的原住民自己也有同样的问题。有一座岛上的火山爆裂的火山口中建造了一座村落,有一天火山突然爆发,被刮到空中连一只小猫也没剩下。然后数年后,在同一个火山口中不知何时按照人类集落的形态又被建造起来。从这件事来考虑,昆虫短暂的记忆——也许对昆虫来说是漫长的记忆,不能被当作一个笑话。

鋏の進んで行く先から無数の小さなばったやこおろぎが飛び出した。平和――であるかどうか、それはわからぬが、ともかくも人間の目から見ては単調らしい虫の世界へ、思いがけもない恐ろしい暴力の悪魔が侵入して、非常な目にも止まらぬ速度で、空をおおう森をなぎ立てるのである。はげしい恐慌に襲われた彼らは自分の身長の何倍、あるいは何十倍の高さを飛び上がってすぐ前面の茂みに隠れる。そうして再び鋏(はさみ)がそこに迫って来るまではそこで落ち付いているらしい。彼らの恐慌は単に反射的の動作に過ぎないか、あるいは非常に短い記憶しか持っていないのだろうか。……魚の視感を研究した人の話によると海中で威嚇された魚はわずかに数尺逃げのびると、もうすっかり安心して悠々(ゆうゆう)と泳いでいるという事である。……今度の大戦で荒らされた地方の森に巣をくっていた鴉(からす)は、砲撃がやんで数日たたないうちにもう帰って来て、枝も何も弾丸の雨に吹き飛ばされて坊主になった木の空洞(くうどう)で、平然と子を育てていたと伝えられている。もっともそう言えば戦乱地の住民自身も同様であったかもしれない。またある島の火山の爆裂火口の中へ村落を作っていたのがある日突然の爆発に空中へ吹き飛ばされ猫(ねこ)の子一つ残らなかった事があった。そうして数年の後にはその同じ火口の中へいつのまにかまた人間の集落が形造られていた。こんな事を考えてみると虫の短い記憶――虫にとっては長いかもしれない記憶を笑う事はできなかった。

我想因为我的剪子,无数群居的昆虫负伤的死去的似乎不在少数,多少感到有点凄惨。但是要绕道割草却又行不通,哪些是害虫哪些是益虫我也搞不明白。

無数に群がっている虫の中には私の鋏(はさみ)のために負傷したり死んだりするのもずいぶんありそうに思われて、多少むごたらしい気がしないでもなかった。しかしどうする事もできないのでかまわず刈って行った。これらの虫は害虫だか益虫だか私にはわからなかった。

幼年的时候,我家邻居中有一位坚信宗教的老人。他发现在手足上停驻吸血的蚊子,就静悄悄地抽出铁棍又追又赶,这件事被人传播开来。然而这并不能成为一则笑话的起因,我认为在这个普通的笑话中隐藏着的,是从那位老人谜一样奇怪的行为中所获得的东西。然而直到今日,那个迷仍然没有人能够解开。不仅如此,那个迷在很长时期内生出了许多枝叶,渐渐地长大了。

子供の時分に私の隣家に信心深い老人がいた。彼は手足に蚊がとまって吸おうとするのを見つけると、静かにそれを追いのけるという事が金棒引きの口から伝えられていた。そしてそれが一つの笑い話の種になっていた。私も人並みに笑ってはいたが、その老人の不思議な行為から一つのなぞのようなものを授けられた。そうして今日になってもそのなぞは解く事ができないでそのままになっている。のみならずこのなぞは長い間にいろいろの枝葉を生じてますます大きくなるばかりである。

举例来说,人类从一开始直到现在,从未中断过有关历史的所有斗争,我想似乎许多学者的解说我是一点也不理解。…… 我不明白那些一边食用牛肉,一边反对生理解剖的人心里是怎么想的。…… 争论人类平等的那些人,对除了猿与蝙蝠的平等之外一概不宣扬的理由明显不能理解。…… 主张正常选举的朋友,为何看不到家畜也有同样的权利,惹得他们一听就生气。

たとえば人間が始まって以来今日までかつて断えた事のないあらゆる闘争の歴史に関するいろいろの学者の解説は、一つも私のふに落ちないように思われた。……私には牛肉を食っていながら生体解剖(ヴィヴィセクション)に反対している人たちの心持ちがわからなかった。……人間の平等を論じる人たちがその平等を猿(さる)や蝙蝠(こうもり)以下におしひろめない理由がはっきりわからなかった。……普通選挙を主張している友人に、なぜ家畜にも同じ権利を認めないかと聞いて怒りを買った事もあった。

正在我对剪子前面跳出的昆虫群张望的瞬间,突然有一个想法在我的脑中一闪。虽然那并不是什么新颖的想法,但我想那时候却似乎是唯一的真理。——说到昆虫的生命什么的,在规则前面只不过是“物质”罢了。我和我的剪子在这个规则面前,既是作为征服者又是作为上帝出现的。我一边想象着在我们人类头上挥舞着恐怖的大剪子的上帝那残忍而痛快的心情,一边挥动着手中的剪子势不可挡地向前走去。

 今鋏(はさみ)のさきから飛び出す昆虫(こんちゅう)の群れをながめていた瞬間に、突然ある一つの考えが脳裏にひらめいた。それは別段に珍しい考えでもなかったが、その時にはそれが唯一の真理であるように思われた。――もう昆虫の生命などは方則の前の「物質」に過ぎなくなった。私と私の鋏はその方則であり征服者であり同時に神様であった。私はわれわれ人間の頭上に恐ろしい大きな鋏を振り回している神様の残忍に痛快な心持ちを想像しながら勢いよく鋏の取っ手を動かして行った。

  由于担心对自己的病有妨碍,开始那天留下三平方尺左右就停止了。过了晌午去一看,剪下来的草叶全都干了,成了青白色的干草散落着。摸一下在向阳处晒着的剪子刀刃,热得烫手。

病気にさわる事を恐れて初めの日は三尺平方ぐらいにしてやめた。昼過ぎに行って見ると、刈られた葉はすっかりかわき上がって、青白い干し草になって散らばっていた。日向(ひなた)にさらされたままの鋏の刃はさわって見ると暑いほどにほてっていた。

从学校回来的孩子们带着一点好奇心对割完部分进行检查后,争先恐后地将剪子抢在手中。

他们实地见习了一会儿,再一看,草坪上像被老鼠咬过似的,三角形的,片假名的,罗马字的,等等,各种形状都有。九岁的女儿用的是裁缝用的剪子,她细心地剪起一块一尺四方的草地,食指根部都磨出了可爱的大水泡。

学校から帰って来た子供らは、少なからざる好奇心をもって刈られた部分を点検したあとで、我れ勝ちに争って鋏を手にした。しばらくして見に行って見ると、芝生の上にはねずみがかじったように、三角形や、片かなや、ローマ字などが表われていた。九歳になる女の子は裁縫用の鋏で丁寧に一尺四方ぐらいの部分を刈りひらいて、人差し指の根もとに大きなかわいい肉刺(まめ)をこしらえていた。

很多时候很多人都在按其所好的地方割草,由于每个人的个性,如此细微的小事也会铭刻在心。如果有被粗心大意割下来散落的草形成了虎斑花纹,便按照一般情况细心理顺秩序,像蚕宝宝啃食桑叶似的逐步推进。有些地方根本没有修剪过却还不知道,还有些地方残留着长长的绿叶,看上去就像骨折似的。

我在书斋里听着,虽然不时听到剪子的声音,却大致可以从这个声音辨别出是谁在割草。

 いろいろの時刻にいろいろの人が思い思いの場所を刈っていた。人々の個性はこんな些細(ささい)な事にも強く刻みつけられていた。大まかに不ぞろいに刈り散らして虎斑(とらふ)をこしらえる者もあれば、一方から丁寧に秩序正しく、蚕が桑の葉を食って行くように着々進行して行くものもあった。ある者は根もとまでつめて刈り込まないと承知しないし、またある者はある長さの緑を残すように骨を折っているらしく見えた。

書斎で聞いていると時々鋏(はさみ)の音が聞こえたが、その音のぐあいでだれがやっているかはたいていわかった。

上午当我要开始割草时经常有客人来访,那样的事连续发生了三四次。招呼来客说恕不能久陪的笑话也有。这些不用说并不是直接的因果关系,但也不是全都出于偶然。制约这两件事有共同的条件,只是那个条件并不是必然发生的事情。

午前に私が刈り初めようとするとよく来客があった。そういう事が三四回もつづいた。来客を呼ぶおまじないだと言って笑うものもあった。これは無論直接の因果関係ではなかったが、しかし全くの偶然でもなかった。二つの事がらを制約する共通な条件はあった。ただその条件が必至のものでないだけの事であった。

每天一边用剪子剪一会儿草,一边思考着许多事情,却不知道很多想法到底从哪里来的,也不知道前面的想法和后面的想法之间的关系。从前有个点石成金之王迈达斯的理发师偷偷说出的芦苇叶的秘密,似乎再次在耳边响起,现在这一片一片的草叶,从前从谁那儿听来的事情,现在说不定正在我耳边响起。

毎日少しずつ鋏を使いながら少しずついろいろの事を考えた。いろいろの考えはどこから出て来るかわからなかった。前の考えとあとの考えとの関係もわからなかった。昔ミダス王の理髪師がささやいた秘密を蘆(あし)の葉が再びささやいたように、今この芝の葉の一つ一つが、昔だれかに聞いた事を今私にささやいているのかもしれない。

举例来说,与我自己割草有关的事情,我遇到了在花木店遇到的问题——是否夺去了老板的佣金?而且在拿着许多东西试剪子的时候,我意识到虽然这是相当古老而常有的问题,却不得不以明快的解决手段来对付。

たとえば私は自分で芝を刈る事によって、植木屋の賃銀を奪っているのではないかという問題に出会った。そしていろいろもて扱っているうちに、これがもうかなりに古いありふれた問題である事に気がついた。それかと言ってこれに対する明快な解決はやはり得られなかった。

看到过于延伸的草根眼看就要腐烂时,我突然从单纯的语言上的联想,考虑到由于过于繁荣兴旺的物质文化,人类生活的根本是否眼看就要腐烂了?然而要拯救它的话要想办法将这文明多少割去一点,我在考虑这有无必要。不过草坪与文化并无关系,修剪草坪是有必要的,铲除文明有无必要却还没有证据,这事情是明摆着的。过于肤浅而轻率的类推是一件危险的事情,我仿佛这才意识到似的。实际上那样单纯的想法从狂热的少数人的口中,如同星火燎原般向人群密集处蔓延开来,将草根也烧尽的例子在西洋历史上从未有过。割去文明之叶也好,火烧也好,都行不通。

 延び過ぎた芝の根もとが腐れかかっているのを見た時に、私はふと単純な言葉の上の連想から、あまりに栄え茂りすぎた物質的文化のために人間生活の根本が腐れかかるのではないかと思ってみた。そしてそれを救うにはなんとかして少しこの文明を刈り込む必要がありはしないかと考えた。しかし芝と文化とはなんの関係もない。芝を刈るのがいいといっても文明を刈り取るがいいという証拠にも何もならない事は明らかであった。あまりに皮相的な軽率な類推の危険な事を今さらのように思ってみたりした。実際そんな単純な考えが熱狂的な少数の人の口から群集の間に燎原(りょうげん)の火のようにひろがって、「芝」を根もとまで焼き払おうとした例が西洋の歴史などにないでもなかった。文明の葉は刈るわけにも焼くわけにも行かない。

  开始时兴头十足的孩子,很容易马上就感到厌倦了,他们哪一个手里都没拿剪子。只有长女和我一点点割着往前走。这时候下雨了,由于到了休息天,最早开始割的地方长出了新芽,到处延伸开来。

始めのうちはおもしろがっていた子供らもじきに飽きてしまってだれも鋏(はさみ)を手にするものはなくなった。ただ長女と私とが時々少しずつ刈って行った。そのうちには雨が降ったりして休む日もあるので、いちばん始めに刈った所はもうかなりに新しい芽を延ばして来た。

最后在割了剩下的庭院角落里美人蕉的阴影中,在格外浓密的地方割草的长女说发现一个奇怪的东西,拿在手里走过来。是一枚孩子的手指大小的不知是什么的蛋。抓过来一看,壳很薄,软乎乎的。一剪子剪破了举起来一看,中间含有一条似乎变化之中的蜥蜴。“就像在人肚子里似的。”在一旁的幼女附加了一句。我感到非常惊奇,从那孩子刚听说的知识的出处来看,我知道那是以茶水举办的展览会上见到的浸在酒精里的标本得来的知识。

最後に刈り残された庭の片すみのカンナの葉陰に、一きわ濃く茂った部分を刈っていた長女は、そこで妙なものを発見したと言って持って来た。子供の指先ぐらいの大きさをした何かの卵であった。つまんで見ると殻(から)は柔らかくてぶよぶよしていた。一つ鋏にかかってつぶれたのをあけて見たら中には蜥蜴(とかげ)のかえりかかったのがはいっていたそうである。「人間のおなかの中にいるときとよく似ているわ」とそばから小さな女の子が付け加えた。私は非常に驚いてこの子供の知識の出所を聞きただしてみると、それがお茶(ちゃ)の水(みず)で開かれたある展覧会で見たアルコールづけの標本から得たものである事がわかった。

孩子们将这三四枚蛋埋在向阳的后厦下的土中,数日之后挖出来一看,似乎什么也没有。这里还会有更大的奇迹出现。

大概十天之后,割草工作终于结束了。结果周围的样子并不好看。割草人的个性以及割草时的快慢,使草坪上面描绘出不规则的花斑。然而从不休息工作着的大自然的手会将这痕迹拭去,必须还要等上几天。

 子供らはこの卵の三つか四つを日当たりのいい縁側の下の土に埋めておいた。数日たった後に掘ってみたらもう何もなかったそうである。ここにも大きな奇蹟(きせき)はあった。

十日ほどにわたった芝刈りがやっと終わった。結果はあまり体裁のいいほうではなかった。刈り手の個性と刈り時の遅速とが芝生の上に不規則なまだらを描いていた。休まず働いている自然の手がその痕跡(こんせき)をぬぐい消すにはまだ幾日か待たなければならなかった。

我不知道保养身体的目的是否达到了。大体上对身体的病情没什么作用,作为补偿的其他效果我想也没有。那样的效果,要是对用称称还是用斗量明确了解的话,我想医生一定会很高兴,如果还有难办的事的话。——我想,只有第一次实际见到蜥蜴的蛋,恐怕才是这几天工作中最大的收获吧。

(大正十年一月,中央公论)

 保養の目的が達せられたかどうかはわからなかった。たいしてからだにさわりもしなかった代わりに別段のいい効果があったとも思われぬ。そのような効果が、秤(はかり)や升(ます)ではかれるように判然とわかるものだったら、医師はさぞ喜びもしまた困る事だろうと思った。――ただ蜥蜴(とかげ)の卵というものを始めて実見したのがおそらくこの数日の仕事の一番の獲物であったろうと思っている。

(大正十年一月、中央公論)

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