● 本译稿除重译外,同时对照知名译本,对明显相异处,疑似错译处等添加了注解。
● 所对照的知名译本包括叶渭渠译本和李德纯译本,以叶渭渠为主。
● 词义解释主要参考大辞泉(小学馆)及各类信息渠道。
译文
路转曲折,以为[1]终于接近天城山口[2]之际,雨脚[3]把杉树密林漂染成白[4],疾速自山麓朝我迫[5]来。
彼时我二十岁,戴着高等学校的校帽,藏青白点花色和服搭裤裙,肩挎学生背包。那是我独自去伊豆旅行第四天的事了。在修缮寺温泉宿过一晚,汤岛温泉宿过两晚,而后踏着厚朴木高齿木屐[6]登上天城来。重峦叠嶂,原始丛林,深谷幽溪,一派秋色,我迷醉[7]其间,又为着一个期待心中激荡,急路而行。此间大粒的雨点开始敲打我。奔上蜿蜒崎岖的坡道,终于赶到山口北口的茶馆松下气来的同时[8],我在那入口处呆立住了,——期待过于顺利地实现了,那里江湖艺人一行正在休息。
我杵立着,小舞女见了当即撤去自己的坐垫,翻个个儿搁在旁边。
“好……”只说了一声,我便于其上落座了。坡道奔走的气喘和震惊,使“谢谢”这句话噎在喉头而没能出。
[1]原文是“いよいよ天城峠に近づいたと思う頃”。
过往译本有的是“快到天城岭了”→原文的“思う頃”是“想的时候”,即“以为快到天城山口了”,此处漏译,会破坏原文隐约的“意外、转折”的意味;
有的译为“估量着xx的那一刹那”→“頃”是“时候”,多指一段时间,而不是极短时间的“刹那”。
[2]原文是“天城峠”。
过往译本有的译为“天城岭”→峠是和制汉字,非中国的汉字,意为山道的最高处(非山的最高处),即山口,山口常作为通过高大山岭的交通要道,属专有地理名词,如世界最高的山口“喀喇昆仑山口(カラコルム峠)”,当形容的是地理特征时,“山口”应该是峠的固定汉译。而岭是山道、山的意思,不能覆盖峠的全部含义;
有的直接译为“天城”→漏译 “峠”。
[3]原文是“雨足”。
过往译本有的译为“骤雨”,有的译为“雨水”→“雨足”,即“雨脚”,指的是成线落下绵密的雨点,该词源自杜甫《为茅屋秋风所破歌》的“雨脚如麻未断绝”。所以并不是 “骤雨”或“雨水”。
[4]原文是“杉の密林を白く染めながら”。
过往译本有的是“白亮亮地笼罩着茂密的山林”→首先,原文只说白,未说亮,不宜增加“亮”,除了不够准确之外,此处“我”还没有见到小舞女,心情不会是明亮的,原文的景物描写同样是作者心境的体现,所以不宜增加;其次,染める是“染”,而笼罩和染不同,笼罩是静态,染是动态,原文的“染”也在渲染主人公心境的波动,应沿用为宜。
[5]原文是“すさまじい早さで麓から私を追って来た”。
过往译本有的是“从山麓向我迅猛地横扫过来”→原文的“追って来た”,即“追来”,该译本译为“横扫过来”,实际的雨的动态的确是横扫,但是原文的“追”一词或隐喻着“我”“被某物追赶”的心境,这某物应指的是下文提到的“期待”,应直接沿用为宜。另外,“すさまじい”表示程度之高,且含有“惊人”的意味,故在“追”的含义上加上一层更紧张的情绪,译为“迫来”。
[6]原文“朴歯の高下駄”。
过往译本均直接译为“高齿木屐”→“朴歯の高下駄”中的“朴歯”为厚朴树干制成的高齿木屐,应译为厚朴木高齿木屐。同时,厚朴是一味中药,有化湿行气之效,作者特意提到,此处或有隐喻。此处漏译。
[7]原文是“見惚れながら”。
过往译本有的是“目不暇接”→“見惚れながら”意为看得入神了,原文强调的并不是景色特别多看不过来,而是强调“我”被景色所迷,所以并不是目不暇接。
[8]原文是“峠の北口の茶屋に辿りついてほっとすると同時に、私はその入口で立ちすくんでしまった。あまりに期待がみごとに的中したからである。”。
过往译本有的是“爬到了天城岭北口的一家茶馆,吁了一口气,呆若木鸡。我完全如愿以偿”→漏译了“同時(同时)”和“から(原因)”,原文把“如愿以偿”作为“呆立住”的原因,但该译本漏译原因,看不出二者的因果关系,其次,原文用“同时”使该词前后的动作相区隔开,表示下一句的“原因”所指代的是“呆立住”这个动作,而不是更前面的内容,漏译“同时”便破坏了这层意思。
因与小舞女就近相对而坐,我慌得忙从袖中取出香烟。小舞女又扯过同行女伴面前的烟灰缸挨近我。我兀自沉默着。
小舞女看着约莫十七岁。绑着一个我所不解的古式奇特的巨大发式。那虽使她卵形的凛然面孔显得非常之小,却[9]美妙地调和着。感觉像是发式之丰盈经夸张描绘,稗史式女子的画像[10]。小舞女同行的有一个四十来岁的女人,年轻女人两个,还有一个穿着印有长岡温泉旅店标记的短外衣,二十五、六岁的男子。
我在那之前见过这舞女们两次。最初是我来汤岛的途中,和去往修缮寺的她们在汤川桥附近相遇。那时是年轻女子三个,小舞女拎提着太鼓。我数度回头望了又望,自觉旅途心绪沁上身来。之后,在汤岛的第二天夜里,她们串入旅店卖艺来了。小舞女在玄关的地板上跳舞,我在楼梯半道坐下一个心思地看着。——那天是修缮寺今晚是汤岛,那明天该是越过天城,南去汤野温泉了吧,经天城七里[11]的山道定然追的上了。如此空想着急路而来,却在避雨的茶馆恰巧碰头,我这才张皇失措了。[12]
片刻后,茶馆的婆婆把我引去别的房间。房间似乎不常用,没有拉门隔扇。往下偷眼一看,美丽的山谷深不见底。我强压住皮肤上爆起的鸡皮,牙僵得咔哧咔哧作响,身子抖颤。婆婆来沏茶,我一说冷,她便道:
“咦,老爷是淋湿了吧。来这里烤一会儿吧,来,我给您把衣服烤干了。”说着,[13]牵过我的手,邀去了她自己的居室。
[9]原文是“小さく見せながらも、美しく調和していた”。
过往译本有的是“衬托得更加玲珑小巧,十分匀称,真是美极了”→ながらも表转折,即“显得小舞女脸小,但还是美妙地调和着”,但该译本没有体现转折关系,而处理成了并列关系。
[10]原文是“髪を豊かに誇張して描いた、稗史的な娘の絵姿”。
过往译本有的是“活像小说里的姑娘画像,头发特别丰厚”→首先,漏译了“誇張して描いた(夸张描绘)”;其次,“稗史”即民间故事,词源与汉语一致,而非该译本的“小说”,更重要的是:此处应有隐喻,即“民间”和“古典”两层含义,来指代小舞女。
有的是“一幅把浓密黑发夸张地画成为稗史般的仕女画”→首先,原文只是说像女子的画像(娘の絵姿),而不是“画”本身,其次,稗史般的仕女画,这个词组因为有“般”,即把稗史等同于“仕女”或“仕女画”,但稗史是民间故事,不可能与二者等同;最后,文中只说“娘”,但该词没有“仕女”的意思。
[11]原文即为“里”。
过往译本有的是“二十多公里”→“里”,是日本旧式的长度单位,1里=3.927公里,这种计量单位源自我国古代。而该译本把计量单位转换成现代常用的,但原文写作背景是上世纪二十年代,用古旧的计量单位才是那个年代的韵味,应沿用为宜,至多注解以便读者了解。
[12]原文是“そう空想して道を急いで来たのだったが、雨宿りの茶屋でぴったり落ち合ったものだから、私はどぎまぎしてしまったのだ。”
过往译本有的是“我就是这样浮想联翩,急匆匆地赶来的。赶上避雨,我们在茶馆里相遇了。我心里七上八下”→这里原文是一整句,特别是后两个短句,有清晰的因果关系,即“因为在茶馆“意外地”碰头了,我才不知所措”。但是该译本的整个句子全割裂了,转折和因果关系也都没有体现。
[13]原文是“と、手を取るようにして、自分たちの居間へ誘ってくれた。”
过往译本有的是“话音未落”→と,是说话时的引语,原文此处是正常的引语,没有可体现“话音未落”相关的表述和语境动作等。
原文
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。
私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊り、湯が島温泉に二夜泊り、そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった。重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋に見惚れながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。そのうちに大粒の雨が私を打ち始めた。折れ曲った急な坂道を駆け登った。ようやく峠の北口の茶屋に辿りついてほっとすると同時に、私はその入口で立ちすくんでしまった。あまりに期待がみごとに的中したからである。そこで旅芸人の一行が休んでいたのだ。
突っ立っている私を見た踊子がすぐに自分の座蒲団をはずして、裏返しに傍へ置いた。
「ええ……」とだけ言って、私はその上に腰をおろした。坂道を走った息切れと驚きとで、「ありがとう」という言葉が咽にひっかかって出なかったのだ。
踊子と間近に向かい合ったので、私はあわてて袂から煙草を取り出した。踊子がまた連れの女の前の煙草盆を引き寄せて私に近くしてくれた。やっぱり私は黙っていた。
踊子は十七くらいに見えた。私にはわからない古風の不思議な形に大きく髪を結っていた。それが卵形の凜々しい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和していた。髪を豊かに誇張して描いた、稗史的な娘の絵姿のような感じだった。踊子の連れは四十代の女が一人、若い女が二人、ほかに長岡温泉の宿屋の印半纏を着た二十五、六の男がいた。
私はそれまでにこの踊子たちを二度見ているのだった。最初は私が湯が島へ来る途中、修善寺へ行く彼女たちと湯川橋の近くで出会った。その時は若い女が三人だったが、踊子は太鼓を提げていた。私は振り返り振り返り眺めて、旅情が自分の身についたと思った。それから、湯が島の二日目の夜、宿屋へ流して来た。踊子が玄関の板敷で踊るのを、私は梯子段の中途に腰をおろして一心に見ていた。――あの日が修善寺で今夜が湯が島なら、明日は天城を南に越えて湯が野温泉へ行くのだろう。天城七里の山道できっと追いつけるだろう。そう空想して道を急いで来たのだったが、雨宿りの茶屋でぴったり落ち合ったものだから、私はどぎまぎしてしまったのだ。
まもなく、茶店の婆さんが私を別の部屋へ案内してくれた。平常用はないらしく戸障子がなかった。下を覗くと美しい谷が目の届かないほど深かった。私は肌に粟粒をこしらえ、かちかちと歯を鳴らして身顫いした。茶を入れに来た婆さんに、寒いと言うと、
「おや、旦那様お濡れになってるじゃございませんか。こちらでしばらくおあたりなさいまし、さあ、お召物をお乾かしなさいまし」と、手を取るようにして、自分たちの居間へ誘ってくれた。
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