猫
豊島与志雄
翻译:王志镐
据说,猫是唯物主义。
如根据这个说法,猫与其说属于饲养它的主人,不如说是属于众多的施主。饲养它的主人移居的时候,猫并不随主人落户新居,而是留在旧居。不管那里是空房,还是住上了新来的人家,它对此毫不介意,继续住在旧居。与三日被养,其恩三年不忘相反,猫是三年被养,三日便忘恩。换句话说,与三年被养,三日便忘其家的狗相反,猫是三日被养,三年也不忘其家吧。
猫は唯物主義だと云われている。その説によれば、猫は飼主に属するよりも、より多く飼家に属するそうである。飼主の人間どもが転居する時、猫はそれに従って新居に落付くことなく、旧家に戻りたがる。それが空家になっていようと、或は新らしい人間どもが住んでいようと、そんなことには頓着なく、旧家に住み続けたがる。だから、三日飼われてその恩を三年忘れない犬と反対に、猫は三年飼われてその恩を三日にして忘れる。云いかえれば、三年飼われてその家を三日にして忘れる犬と反対に、猫は三日飼われてその家を三年忘れないとか。
那是十来年前的事情,一只小猫钻进了我家,怎么赶也赶不走。即使到外面去,也还是回来。对着未见过这种场面的我们,喉咙里一边叫着,一边撒着娇。它心平气和地吃着食,泰然自若地睡着觉。真是个厚颜无耻、无忧无虑的闯入者。我们在那屋子里已经住了五六年了,而猫是出生后不满一年的小猫,所以这只猫,当然不包括我们,并没有熟人是再明显不过的了。即使那样,它理所当然地将这里当作自己的家一样坐了下来。它那样子,似乎比我们更加把家当回儿事,虽然是极其简陋的家。
这是一只普通的雌猫,头和背上是红地黑线的虎斑,从颈部到腹部和脚尖是白色的,尾巴短短的,我们就那样一直喂养着。
十年ほど以前のこと、私の家に、一匹の若い猫がはいりこんできた。追っても逃げない。外へ出してもまたはいって来る。見知らぬ私たちに、喉を鳴らしながら甘ったれる。平気で物を食い、泰然と居眠る。図々しい呑気な闖入者だ。私たちはその家にもう五六年住んでいたし、猫は生後一年とはたたない若さだったので、猫が、私たちには勿論、家にも馴染がなかったのは明かである。それでも当然自分の家だというように腰を落付けている。その様子、私たちよりも、粗末な家だが、家が気に入ったものらしい。
頭と背が赤茶地に黒線の虎斑の、頸から腹や足先にかけて白い、尾の短い、普通の牝猫だったが、私たちはそのまま飼い続けた。
仅过了两年,我们移居到其他地方。因为距离原来的家不超过四五条街道,那只猫会不会逃往旧家不回来,我们出于养育之爱而有点担心,可是什么事也没有发生。也不让蒙上眼睛,只是抱着来的,对旧家也没有勉强维持的必要。与我们一样,以理所当然的表情,在新家定居下来。比起旧家,附近有许多施主与之融合。
二年ばかり後、私たちは他の家に移転した。四五町しか距っていない家だったので、猫が旧家に逃げ戻りはしないかと、飼えば愛情が出て、少々心配した。だが何のこともなかった。目隠しもせず、ただ抱いて来ただけで、繋ぎとめる必要もなく、私たちと一緒に、当然だという顔付で、新らしい家に落付いてしまった。家によりもより多く飼主に馴染んでいるのだ。
从那以后,这只猫每年要妊娠一两次,分娩的时候需要照料,生下的小猫需要糊口,我们相当担心,正因为如此,它在家庭生活中扎下了根,完全成了家庭中的一员。
其後この猫、年に一二回妊娠をするし、分娩の時の世話やら、生れた仔猫の貰われ口など、随分心配をかけるが、それだけにまた家庭生活の中に根を下して、すっかり家族の一員となってしまった。
上小学的三个孩子,如果围成圆圈做游戏,猫就进入圈当中蹲坐着。一个孩子如开始学习,它就在那桌子上坐着。“猫啊,游戏的……学习的……大累赘。”孩子们始终在抱怨。由于这个原因,到了睡觉的时候,各自互相争夺,将猫夺到自己的被窝中去。据看家人的说,在放暑假和家庭成员去旅行的时候,猫似乎冷清了许多。我们旅行一回来,猫真是高兴坏了,在身体上磨磨蹭蹭,一跃跳到我的背上,舔着我的脸颊……
这只猫,出乎我的意料之外,不是个唯物主义者,我是这么想的。
小学校に通う子供三人が、円陣を作って遊んでいると、猫はその真中にはいって蹲る。子供の一人が勉強を初めると、その机の上に坐りこむ。「猫が、お遊びの……勉強の……邪魔をする、」というのが子供たちの始終の苦情だ。そのくせ、寝る時には、各自に自分の布団の中へ猫を奪い合う。夏休みなど、家族中で旅をするような時、その不在中、猫がとても淋しそうだったと、留守居の者の話。旅から帰ってくると、猫の嬉しがりようったらない。身体をすりつけてくる。背中にとび乗る。頬辺をなめる……。
この猫、案外、唯物主義者でない、と私は思ったのである。
可是去年夏天,熟人家出生了一只长尾的纯白雄猫,根据约定,出生仅两个月就送来做伴侣。我老早就想要一只雄猫,我的愿望有一半已实现了。
那可真是件好事。可是,却碰到了意想不到的障碍。要来的小猫与家里的猫怎么也亲密不起来。小猫一方果然毫不在乎,经常错认了亲生父母,因怀念而靠近过来,而大猫却怒目而视,发出哼哼声,根据情况还要抓挠。对此,我采取互相驯养的方法,将两只猫一起抱在膝盖上,这样做会使小猫害怕,两只猫都似乎不安地将身体蜷缩起来,缩着脑袋,不时发出低低的哼哼声,最后从膝盖上跳出去,然后蹲坐在室内的其他角落。那样的情况只持续了两周。不过,喂食时彼此仇视的事情几乎没有。
ところが、昨年の夏、知人の家に、尾の長い純白の牡の仔猫が出来たので、貰う約束をして、生後二カ月ばかりして連れてきた。私はかねがね、純白か漆黒かの尾の長い男猫を求めていたので、その願いの半分だけかなったわけだ。
それはよいが、そこで、思いがけない障碍にぶつかった。貰って来た仔猫に、家の猫がなかなか親しまない。仔猫の方はさすがに無頓着で、時々実の親と間違えてか、なつかしそうに寄ってゆくこともあるが、親猫はすぐに、睥みすえ唸り声を出し、場合には引掻いたりする。それを私は互に馴れさせようとして、二匹一緒に膝の上に抱くが、そうなると仔猫までおじけて、二匹とも不安そうに身体をすくめ、首を縮め、時々低い唸り声を立て、はては膝から飛び出してしまう。そして室の別々の隅に蹲る。そんな状態が二週間ばかり続いた。ただ、食事の時いがみ合うことは殆んどなかった。
现在想来,大猫一方不能与之融合,好像是由于妊娠的缘故。她虽然有身体上毛色鲜艳、看上去朝气蓬勃的时候,然而到了出生后十年多的老年,牙齿的数目变少了。“也许不能再生崽了。”那年春天患小毛病时,医生这样说过。那是许久未遇的妊娠。
今になって考えると、親猫の方が馴染まなかったのは、妊娠していたせいだったらしい。胴のつまった毛並の艶やかな、見たところ若々しい様子ではあるが、もう生後十年余りになる老年で、歯数も少くなっているし、「もう子供は産みますまい、」とその春微恙の時に医者も云っていた。それが久しぶりに妊娠していたのだ。
小白猫来后,只过了半个月,大猫已生了两只小猫。由于年老的缘故,小猫发育不良,生下后不久就死了。
白の仔猫が来て、半月ばかりたった時、家の猫は二匹子を生んだ。老年のせいか、子は発育が悪く、生れてすぐに死んだ。
然而一天清早,我被孩子们吵吵嚷嚷地叫了起来。跟着孩子们去一看,真是不可思议。大猫正抱着小白猫喂奶。至今为止持有那样的反感,突然改变了,似乎处于真正爱抚的目的抱在怀里,而小猫一方,喉咙一边叫着,一边紧紧搂着乳房。一夜之中,哪一方先做出反应已无从知晓,现在看来,完全与亲生母子毫无区别。
そして中一日置いた早朝、私は子供たちから騒々しく呼び起された。子供たちについて行って見ると、不思議だ。親猫が白の仔猫を抱いて乳をのましている。今まであれほど反感を持ってたらしいのが、がらりと変って、如何にも愛撫するように抱きかかえているし、仔猫の方でも、喉をならしながら乳房にすがっている。一夜のうちに、どちらから先にそうなったのか分らないが、今ではもう、全く実の親子同様になっている。
还不仅与此。其后大猫的态度,简直达到了爱到歇斯底里的程度。只要一瞬间见不到小猫的身影,就到处乱跑,鸣叫不已。小猫要是攀上了庭院里的树木,上了房顶,她就发出警戒的鸣声,叫他回来。小猫如果登上危险的墙根什么的,她就飞奔而去,将他衔回来。已经是大孩子了,猫妈妈用嘴衔着带回来。这种方法是相当危险的。小猫认为这很有趣,却怎么也不听大猫的话。大猫变得越来越歇斯底里了,最后两只猫拼命地胡乱戏耍。如果玩累了,就一起躺着晒太阳,并互相舔着。入浴之后,就互相舔弄湿了的毛,将身体贴在一起互相取暖。
そればかりでない。其後の親猫の態度は、云わばヒステリー的愛撫そのものになってしまった。仔猫の姿が一寸でも見えないと、方々駆け廻って鳴き立てる。仔猫が庭の木に登ったり家根に上ったりすると、警戒の声を立てて呼び寄せる。仔猫が危い垣根の上などに登ると、飛んでいって、銜えてくる。もう大きな子供を、婆さんが口に銜えて連れてくる。その方が実はよほど危いのだ。仔猫にはまたそれが面白いと見えて、なかなか親猫の云うことを聞かない。親猫は益々ヒステリー的になる。はては二匹で盛んにふざけちらす。それにも疲れると、日向に寝ころんでなめ合う。入浴の後には、濡れた毛を互になめ合い、寄り添って身体を温め合う。
从大猫那样的态度判断,也许是她认为生后两个半月的那只小猫完全还活着,也许她认为这是从她肚子里生出来的呢。不过,出乎意外的是,她养育的是大孩子,也许她没有考虑过这一点。再说了,大猫在孩子死后,母爱犹存,也许她选择这只小猫作为爱的对象。作为对象,自己的孩子也罢,他人的孩子也罢,小的也罢,大的也罢,她对这些都不在乎,也许母爱本来就是顺应自然的变化而变化吧。
そういう親猫の態度から判断すると、生後二カ月半もたったその仔猫を、全く生れたばかりのもののように考えてるらしい。而も自分の腹から生れたもののように考えてるらしい。ただ、とんでもない大きな子供が生れた、ということだけは考えないらしい。なお云えば、親猫には、子が死んだ後も母性愛が残っていて、その愛がこの仔猫を対象に選んだらしい。対象そのものが、自分の子か、他人の子か、小さいか大きいか、そんなことには無頓着で、母性愛はただ、本来の自然の働きを働いていったらしい。
像这样无视对象的母爱,从广泛的意义上来说,是极端的唯物主义。某种吝惜,最后变成了拜金主义。某种名誉心,最后变成了崇拜勋章。某种色欲,最后变成了敬仰肉体。各种感情和欲望,如果要作极端的诠释,许多只不过是唯物主义而已。我家的猫的母爱,只要是满足自己,就尽量满足,成了唯物主义的母爱,猫身上的悲哀,没有堕落到去爱玩偶。之后,小猫因微不足道的事情病死了。大猫的悲欢,见之为之动容。不过与此相反,我对给予玩偶小猫之术一无所知。
対象を無視するそういう母性愛は、広い意味で、極端に唯物主義的である。或る種の吝嗇は、遂には黄金崇拝となる。或る種の名誉心は、遂には勲章崇拝となる。或る種の色欲は、遂には肉体渇仰となる。種々の感情や欲望も、極端に詮じつめれば、単なる唯物主義になることが多い。私の家の猫の母性愛は、自己満足だけで満足するほど唯物主義的になったが、猫の身の悲しい哉、人形愛撫にまでは堕しなかった。――其後、仔猫は些細なことで病死した。親猫の悲歎は見るも憐れだった。がそれに対して私は、猫の子の人形を与えてやる術を知らなかったのである。
尾巴长长的纯白的雄猫,与尾巴长长的漆黑的雄猫,我正在想是喂养那一只,而那么久的期间,猫妈妈独自似乎很寂寞。过分的与人亲近,比起领养她的家,她更属于领养她的人,而且心理上更加是唯物主义的,惹得我的心里怪怪的。
尾の長い純白の男猫と尾の長い漆黒の男猫とを、私はいずれ飼いたいと思っているが、それまでの間、婆さんの猫は一人淋しそうだ。ひどく人なつこくて、飼家によりも飼主に属しており、而も心理的には更に唯物主義的なのが、怪しく私の心を惹く。